八ヶ岳での山小屋暮らしで「命」を感じる。大自然のなか日々移ろう心情を描くエッセイ『炉辺の風おと』

文芸・カルチャー

公開日:2023/3/1

炉辺の風おと
炉辺の風おと』(梨木香歩/毎日新聞出版)

“自然はただ、人間に無関心なのだ。山で遭難して命を落とす人びとは後を絶たない。圧倒的な無関心は、むしろ憎悪よりも無慈悲だ。“

 梨木香歩氏によるエッセイ集『炉辺の風おと』(毎日新聞出版)第二章「更新される庭」の一節である。

 野鳥の声。息を呑むほどまばゆい冬の星座。雪解け水の流れる音。ーー豊かな自然に囲まれた生活に、多くの人は憧れを抱く。しかし、「自然のなかで生きる」というのは、想像よりずっと厳しい。山の深みに身も心も預け、自然の声を聴く。優しい声だけではなく、禍々しい声も含めて、「そういうものだ」と受け入れる。その覚悟があってはじめて、自然と共存するスタートラインに立てる。

 本書は、著者が八ヶ岳の山小屋を購入し、「山の深みに届く生活」をはじめるエピソードが起点になっている。毎日新聞の「日曜くらぶ」に連載されていたエッセイが基となっており、本書のあとがきで著者はこう述べている。

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“週に一回、というペースは心のごまかしようがない“

 その通り、本書には著者のリアルな生活の色や心の有り様がくっきりと反映されている。「日曜くらぶ」の連載期間は、2018年4月から2020年6月まで。そのため、新型コロナウイルスの話題も登場する。また、連載期間中に著者は父親を看取っている。当時の医療現場に対する思いも含めて、著者の心情が赤裸々に綴られる後半部分は、八ヶ岳で過ごす日常風景を軸に、野鳥や植物との付き合い方、暮らしの知恵などが描かれている前半部分とは、明らかに空気が変わる。

 第一章「山小屋暮らし」の後半、「長く使われるもの」と題された箇所では、物書きが日々向き合う「言葉」についても言及されている。

“言葉の力だけを借りて、本当にはないものを、あるように見せかけようとするのが一番よくない。何がよくないといって、使う本人の魂にもよくないし、その言霊の容量をあっという間に減らしてしまう最たる原因になる。“

 言葉は、私たちが生きる上で「長く使われる」最たるものだ。言葉には命が宿り、私たちはそれを「言霊」と呼ぶ。その力をどう使うかにより、言霊はいかようにも姿を変える。言葉を扱い、文章を書くことで生計を立てている身としては、この一節は深く響いた。

 本書からは、一貫して「命」の音が伝わってくる。野鳥も、木々も、古家も、長く使われるものも、人も、みな共通して「命」がある。地球規模で命そのものを見渡すような俯瞰的視点が、本書にはある。

 景色を切り取るだけではなく、そこに在る命までもありありと感じさせるエッセイは、そう多くない。激しい言葉を使わず、むしろどこまでも淡々と綴られているからこそ、美しく、厳しい世界の姿が鮮明に浮き彫りになる。そんな本書が映し出す風景と命が、守られてほしいと願う。そのために自分にできることを小さくとも積み重ねていこうと、改めて思った。

(文=碧月はる)

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