どんな問題もグランマがいれば大丈夫!おばあちゃんと孫娘が難題を解決する痛快マンガ『グランマの憂鬱』

マンガ

公開日:2023/3/16

グランマの憂鬱
グランマの憂鬱』(高口里純/双葉社)

 最近、古来の文献に「最近の若い者はこうだからいけない」という内容が書いてあると知った。いつの世も年を重ねた人は若者との隔たりを感じていたのだろう。

 一方で若者も変わっていない。いつの時代も変わらず「年をとるとこれだからダメだ」と年配の人たちと距離をとろうとしてきた。映画『大人は判ってくれない』は12歳の少年が閉塞感を抱いて日々を過ごすという内容だったが公開されたのは1959年だ。あの少年は今、とっくに「大人」になっている。

 10代のころから私が考えようと意識してきたのは、「年を重ねたからこそ重みの出る言葉があり、深みを増す考えがある」ということだ。自分がおじいちゃん子だったことも影響しているかもしれない。もちろん「どうして大人は私の気持ちをわかってくれないんだろう」と思ったことは何度もある。また、いつか自分が下の世代に「老害」呼ばわりされる日がくることもわかっている。

advertisement

グランマの憂鬱』(高口里純/双葉社)を読んだとき、私が大人と子どもの気持ちの隔たりをなくしたいと考えていたことが、痛快な漫画として表現されたと喝采を送りたくなった。そこには、今を生きる私を含めた全世代に届けたい考え方がたくさん詰まっていた。

 タイトルの「グランマ」とは百目鬼(どうめき)村の総領である百目鬼ミキだ。村で起こったもめごとを村人たちと共に解決していく行動力と、表面だけで物事を判断しない聡明さを併せ持った女性である。

 そんなミキの家に、都会からミキの孫娘・亜子とその母親が引っ越してくる。亜子はまだ幼児だが、幼児であるがゆえに、年を重ねているからこそにじみ出るミキの言葉の重みを敏感に感じ取り、あっというまにおばあちゃん子になる。

 ミキもミキで、亜子の子どもらしい素直な性格に感銘を受ける。序盤、ふたりはこんなやりとりをする。

亜子も早くおばぁちゃんになりたい なんでも知ってたいもん

おや そうかい
そりゃ年の取り甲斐があったもんだ

 なんて素敵な会話だろう。

 このふたりは少なくとも70歳以上年が離れているはずだが、年の差による隔たりが消えた瞬間でもある。

 1巻で個人的に好きなのは、ミキが同世代の友人たちと都会で会う場面である。厳しいが包容力のある経団連副会長夫人のユキちゃん、ほんわかとした外見から想像ができないほど豊かな知性を持つS大名誉教授のしーちゃん、見た目も中身もたくましい、今でいうバリキャリの参議院議員ケイちゃんである。

 彼女たちはミキとの会合の前にそれぞれ偶然亜子に出会い、亜子は彼女たちにも刺激を受ける。とても素敵なエピソードだ。「人間、年齢なんて関係ない」とは言い切れないが、たくさんの経験をしてきたからできることがあり、経験に基づいた発言や行動が子どもの心を動かす。「今の若者は」とか「老害」という言葉をなくせば、時間はかかるかもしれないが世代間を隔てる壁はかならず薄くなる。若くても老いても、世代を問わずいろいろな人の個性を尊重し、敬意をもって接することができれば。

 多くの人が自分の年齢をポジティブに受け止められる日がいつか訪れるのかもしれないという希望を得られる漫画だった。

文=若林理央

あわせて読みたい