悲しみ、悔恨、そして愛情……親の死によってよみがえる記憶の果てに待つものは。高齢化社会の今、読むべき漫画『父を焼く』

マンガ

更新日:2023/4/14

父を焼く
父を焼く』(山本おさむ:著、宮部喜光:原著/小学館)

悲しみや悔恨を伴わない気持ちで、親と子を語れる人はどれほどいるのだろうか…

 55歳の義明は、娘の自立を機に、戸棚の中にしまいっぱなしにしていた遺骨を取り出す。金銭的な理由で墓を持てずに保管してきた両親の遺骨だ。義明は23年前に孤独死した父の人生を想う。

 酒をよく飲み妻に暴力を振るう、決して良い父ではなかったが、彼の心には父が死んだときの苦い思いがずっと宿っている。『父を焼く』(山本おさむ:著、宮部喜光:原著/小学館)は、生きている「今」の私たちに自分の死、そして家族の死について問いかける重厚な漫画だ。

 義明が思い描く若いころの父は、義明によく似ていて、決して悪人のようではない。真面目一筋に生きてきたような顔だ。父の人生を狂わせたのは結婚前の事件だった。のちに妻となる人物とは異なる、初めて愛した女が自ら命を絶ったのだ。そのころ、もちろん義明はまだ生まれていなかったが、自暴自棄になった父は事故で視覚障害を負い酒浸りになったという。

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 結婚して義明が生まれても、酒に溺れて妻に手をあげるような父親だった。だが義明の想像の中の父は、苦しみや寂しさを引きずった哀れな男である。今も父が生きていれば、憎しみや怒りが義明の胸に宿ることがあったかもしれない。しかしその可能性は絶たれた。もう「生きている父」はいないからだ。

 そんな義明も、もう若くはなく、老いが忍び寄っている。この老いは、読者が何歳であってもいつか経験する、生物である限り逃れられないものだ。

 つまり、ひとごとのように上の世代を「老害」扱いしていると、近い将来自分にはね返ってくるのは間違いない事実だ。

 55歳で娘の自立を見届けた義明は、老いを感じたことできたるべき死について考え、父を想起したのだろう。父は老いによって孤独死した。だが自分と暮らしていたころの若き父も、義明の記憶にへばりつくように残っている。また、自分が生まれる前、父の身に起きたある出来事がその人生を変えたことも義明は耳にしている。読み進めるごとに義明の父は輪郭を持ち、彼が義明を大切にしようとしながら何不自由なく育てることができなかった苦労が伝わってくる。そんな父を理解できず孤独死させてしまったことが、義明の「悔恨」なのではないだろうか。

 筆者である私を産んだころ、母はいくつだっただろうかと考えてみる。

 私が六歳のとき、母と再婚した私の養父は、母より一つ年下だった。私はいつしか当時の養父の歳を超え母の歳を超え、ふたりと異なる人生を生きている自分に気づく。そして、やがては訪れる親の死におびえる。本作を読みながら私は親の死を経験するであろう未来の自分に問いかける。

 いま、悲しい? 悔しい? 後悔している?

 それを避けるために、なにか行動した?

 親の死によって悲しみや悔恨があったとしても、今後の人生の自分しだいでその辛さを薄れさせることはできるはずだと思いたい。

文=若林理央

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