作家生活10周年!『この本を盗む者は』スピンオフを含む、深緑野分の珠玉の短編集

文芸・カルチャー

公開日:2023/5/31

空想の海
空想の海』(深緑野分/KADOKAWA)

 頭の中であれこれと空想をめぐらす。そんな時間ほど、心に栄養を与えてくれるものはない。それは、血となり、肉となり、骨となる。明日を生きる活力になる。間違いなく、私たちを豊かにしてくれる時間だ。

 そんな想像を広げることの楽しさを味わえるのが『空想の海』(深緑野分/KADOKAWA)。『ベルリンは晴れているか』(筑摩書房)や『この本を盗む者は』(KADOKAWA)、『スタッフロール』(文藝春秋)などの著作で知られる深緑野分氏による短編集だ。作家生活10周年を記念するこの本に収録されているのは、SFから児童文学、ミステリ、幻想ホラー、ショートショートまで、さまざま。珠玉の短編11編が収められている傑作だ。

「時々起こるんだ。すさまじいエネルギーを持つ想像力の一閃が、現実の鎖を切り裂き、とんでもない未知へと連れて行ってくれることがね」

 これは、本書収録の『この本を盗む者は』スピンオフ短編「本泥棒を呪う者は」内のセリフ。本を愛し、書籍蒐集家の父の蔵書を収めた「御倉館」を愛する御倉たまきの言葉なのだが、この短編集そのものを言い表しているようにも聞こえる。この“空想の海”に、ざぶんと飛び込めば、そこに広がるのは、とんでもない未知の世界。波にゆられて、たゆたうように、いろんな物語を行ったり来たりすれば、なんと心地がいいことか。眩いばかりの鮮やかな世界で巻き起こる意外な出来事に、あっと驚かされたり、クスッと笑わされたり、キュンとさせられたり、グッときたり。ずっとこの短編集の世界に浸かっていたいような気持ちにさせられる。

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 たとえば、「空へ昇る」は、架空の科学史ストーリーだ。大地に突如として直径二爪(そう)ほどの穴が開き、そこから無数の土塊が天へ昇っていくという“土塊昇天現象”。重力に反するこの現象は、一体どういう原理で起きているのか。初めてこの現象を目撃した人は何を思ったのか。物理学者や天文学者、哲学者たちが謎の現象を解き明かそうと挑み続けていくのだが、綴られるその歴史は、まるでドキュメンタリー。架空の現象だということを忘れてしまいそうになるほどのリアリティがある。彼らは不可解な現象をどう解き明かしていくのか。読み進めるほどに、これでもかというほど、好奇心が掻き立てられてしまう。

 また、児童文学「緑の子どもたち」にもワクワクとした気分にさせられる。描かれるのは、植物で覆われた「緑の家」で暮らす4人の子どもたち。彼らは使う言語が異なり、口をきこうとはしない。きいたところで意味が分からないし、知らない言葉が耳に入るとイライラしてしまうから、ひとつの部屋にいながらも、全員が互いに存在を無視して、関わらないようにしている。だけれども、ある事件をキッカケに、彼らは関わりを持つようになる。少しずつ心を通わせていく子どもたちの姿に、こんなにも心洗われるとは。言葉が通じず、生活習慣が違うからといって、決して分かり合えないわけではない。キッカケさえあれば、相手のことを思いやれれば、新しい時間が流れ始める。私たちの住む世界も、こうであってほしい。いや、こうでなくてはならないと思わずにはいられなかった。

 その他の短編も、多種多様。こんなにも多彩なジャンルの作品が詰め込まれているだなんて、なんて贅沢な本なのだろう。どの作品も読み進めるうちに、潮が満ちていくように心が満たされ、ゆったりと幸せな気分に浸れる。本を愛し、空想を広げることを愛するすべての人に、是非とも読んでほしい1冊だ。

文=アサトーミナミ

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