【2カ月連続刊行】恩田陸が生み出すメタフィクション!美しくも惨烈な至高の幻想小説

文芸・カルチャー

更新日:2023/7/7

夜果つるところ
夜果つるところ』(恩田陸/集英社)

 おびただしい血が流れ、累々と死者を積み上げていくというのに、どうしてこの物語はこんなにも美しいのだろう。人は、禍々しいものに自然と引き寄せられてしまう生き物なのだろうか。冴えざえとした月の光と、まどろむ獣のような不穏な気配。この世のものではないものが跋扈し、さまざまな人間模様が交錯する館。終わらない夜の中で一体何が起きようとしているのか、誰だってその様子を覗き込まずにはいられないだろう。

 そう思わされたのは、『夜果つるところ』(集英社)。恩田陸氏が「本格的にメタフィクションをやってみたい」と書き上げた幻想小説であり、執筆期間15年のミステリ・ロマン大作『鈍色幻視行』(集英社)に登場する作中作だ。『鈍色幻視行』では、この作品は、謎多き作家・飯合梓の唯一の著作であり、幾度となく映像化が試みられながらも、撮影中の事故によりそれが頓挫している“呪われた”小説とされている。そして、これを題材に作品を書きたいという小説家が関係者たちへの取材を通してその謎に迫ろうとするのが『鈍色幻視行』のあらすじ。「多くの人を虜にする幻の小説」という設定の作品を自らの手で書き上げるのは、相当ハードルの高いことだろう。だが、恩田陸はそんなハードルをなんなく跳び越えてしまった。この作品ならば、多くの人を惑わせて当然。美しくもグロテスクで、どこか懐かしく、そして、悲しい。ページをめくれば、そんな物語の世界にどっぷりと浸かり込み、いつの間にか抜け出せなくなってしまう。

 時は昭和初期。地上から隔絶された山間の遊廓・墜月荘がこの物語の舞台だ。物心ついた時からこの館で暮らす「私」には、3人の母がいる。鳥籠を日がな1日眺めながら、時折孔雀の鳴き真似をする、精神を病んだ「産みの母」和江。身の回りのことや勉強を教えてくれる聡明な「育ての母」莢子。表情に乏しく、いつも置物のように帳場に立つ「名義上の母」文子。「産みの母」とは正常なコミュニケーションが取れないし、「育ての母」もどこかいびつで全幅の信頼を置くことはできず、「名義上の母」はあくまでも世間体としての振る舞いしかしない。どの母親とも心通わせることができずにいた「私」は、ある日、館に出入りする男たちの宴会に迷い込む。そこで目撃したのは、カーキ色の軍服の上に蜘蛛の巣を描いた着物をすっぽりとまとい、扇子をかざして舞う男の姿。客と顔を合わせることは固く禁じられていたが、「私」は彼の姿から目が離せなくなってしまう。「この人は、墜月荘の誰よりも私のことをよく知っている」——「私」が感じた確信は決して間違いではなかったが、その出会いは惨劇の始まりでもあり……。

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腐る直前の肉が最も美味であるように―落ちる寸前の花弁が最も美しい色彩を見せるように―滅びる間際の墜月荘には、何か凄絶な美があった。

 そんな言葉の通り、墜月荘という場所、その滅びゆくさまは、なんとも不気味で、なんとも美しい。和洋中の建築様式が入り交じるこの館は、夜になると妖しく輝き始め、その存在自体が妖艶な幻想のよう。そんな館にまつわる人々は、何に唆されたのか、次から次へと凄惨な死を遂げ、悲劇ばかりが積み重なっていく。その死に、これでもかというほど心揺さぶられるのは、その死の裏にある、報われない愛のせいに違いない。この物語には祝福された愛はひとつも出てこない。そのどれもが叶わない。それが、私たちの心で燻り続ける何かと共鳴してしまうのだ。

 主人公の「私」もまた、報われない思いを抱え続ける人間のひとりだ。誰のことも母親だと思えないのに、母親を求め続ける「私」。この子どもは、これからどんな運命を辿るのか。誰だってその姿から目が離せなくなってしまうに違いないだろう。

 先月刊行された『鈍色幻視行』に続き、2カ月連続で刊行された『夜果つるところ』。もちろん『夜果つるところ』だけでも心打たれるが、『鈍色幻視行』もあわせて読むと、新しい発見がたくさん。全くテイストの異なるそれぞれの物語を、より深く味わうことができる。

 あなたも恩田陸氏による圧巻の物語を2作まとめて是非とも体感してみてほしい。至高のメタフィクションを生み出した恩田陸氏の壮大な挑戦に圧倒されるに違いない。

文=アサトーミナミ

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