物語の世界に没入する幸せを――田中芳樹氏や恒川光太郎氏など、錚々たる作家たちが「幸せな読書」と称賛する、大型ファンタジー小説が誕生!

文芸・カルチャー

更新日:2023/6/19

レーエンデ国物語
レーエンデ国物語』(多崎礼/講談社)

 人は、何もかもを手にすることはできない。どんなに努力しても零れ落ちてしまうものはあるし、大義のために名もなき人を傷つけ、蔑ろにしてしまうこともある。わかったうえでどれだけ諦めずにいられるか、理想と信念を貫くことができるのか、その試行錯誤を重ねるのが生きるということなのだろう。『レーエンデ国物語』(多崎礼/講談社)で主人公のユリアが、彼女の愛するトリスタンが、そうしたように。

 田中芳樹氏に柏葉幸子氏、恒川光太郎氏、紅玉いづき氏、そして柳野かなた氏という錚々たる作家たちが称賛の声を寄せるファンタジー小説である本作。舞台となるレーエンデは、この世ならざるものが棲み、この世ならざることが起きる、呪われた土地と古来呼ばれてきた場所だ。だが、帝国の英雄と呼ばれた父・ヘクトルについてレーエンデに身を移した15歳のユリアにとっては、しがらみから逃れ自由を手にすることのできる理想郷だった。

 ヘクトルがレーエンデにやってきたのは、帝国を歪んだ形で支配しようとする実兄の策略を阻み、孤絶したレーエンデに手を差し伸べるため。ヘクトルを深く敬愛する青年弓兵・トリスタンは、その計画に手を貸し、ヘクトルの最も愛する娘・ユリアを守ることを誓う。決して簡単な任務ではなかったが、父娘と過ごす日々はトリスタンにとって生まれて初めて得た穏やかな幸せだった。そして、彼の孤独とそれゆえの優しさに触れながら、ユリアもまた彼に想いを寄せていく。

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 だが、レーエンデの呪いは3人を放っておいてはくれない。呪いのひとつに、銀呪病というものがある。レーエンデ特有の、一度発症すれば10年生きることはないとされる病で、他国で治療法を探そうにも、レーエンデを一歩出ると進行が早まってしまうという。この銀呪病に関する伝承がユリアとトリスタンの運命を翻弄していく過程が本書の読みどころのひとつである。

 欲望が巻き起こす争いと違って、人智を超えたコントロールの利かない災いを人が食い止めるすべはない。なぜ私が、なぜ彼が、と理不尽を訴えたところで無意味。放っておけばすべてが奪われるだけの現実を前に、何を優先し、何を守り、そして何を犠牲にするかを常に選んでいかねばならない2人が、互いを想い合うゆえに悲劇に身を投じていく姿に、読んでいて胸が詰まる。

〈心の声に耳を傾けてごらん。きっと聞こえてくるはずだよ。自分が何を求めているのか。そのために何を選び、何を捨てるのか。〉――これはレーエンデに来たばかりのユリアに向けられた言葉だが、トリスタンやヘクトルを含め、この物語世界に生きるすべての人たちが背負うべき覚悟でもある。そして読者である私たちも、彼らの姿を通じて常に、その覚悟を問われるような心地がする。

 成すべきことから目を逸らし、つかのまの幸せを得るかわりに、大きな後悔を引き寄せるのか。たとえ死ぬまで苦しみが続いたとしても、大切な人たちの幸せを願い、胸を張って命を終えるのか。過酷な運命のなかで2人はどちらを選ぶのか。その結末に辿りつくまできっと、誰もページを繰る手を止めることはできない。

文=立花もも

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