なぜ陰謀論を信じる人がいるのか?『母親を陰謀論で失った』で語られるネット社会の闇【書評】

マンガ

公開日:2023/7/24

母親を陰謀論で失った
母親を陰謀論で失った』(ぺんたん:原作、まきりえこ:漫画/KADOKAWA)

母親を陰謀論で失った』(ぺんたん:原作、まきりえこ:漫画/KADOKAWA)はショッキングなコミックだ。

 それまでの生活ががらりと変わった2020年の新型コロナウイルス感染症は、人々の行動だけでなく、思考・思想を変えることとなった。当時、未知のウイルスのパンデミックは、大阪府の知事が市販のうがい薬について「コロナに効くのではないかという研究結果が出た」と発言したことから、各地の薬局でうがい薬が姿を消すなど不確かな感染予防方法などがニュースやネット上で飛び交った。ニュースでは毎日感染者数と重症者数が発表され、情報への不信や世情への不安が広まった。

 本書ではそうしたコロナ禍のなかで、主人公であるナオキの母親ケイコが陰謀論に傾倒していく。ケイコは自宅のポストに投函された郵便物も数日経ったものだけを家に入れるなど、コロナに対して過剰ともとれる対応をする。そんな心配性な性格の母ではあったが、ナオキとの仲はとても良好だった。しかし2020年の夏になると、母はナオキのスマホに“政府はコロナを使って我々をコントロールしようとしている”、“マスクをしていても感染対策には無意味”などといった主張をする動画のリンクを送るようになる。はじめはあまり気にしていなかったナオキだったが、1日に数回も同様の主張の動画リンクを送ってくる母親が心配になり、ナオキは父親に相談する。「まるで陰謀論者だよ」と父に伝えたが、その後にかかってきたケイコからの電話に出ると、「誰が陰謀論者だ!ふざけんじゃねぇバカヤロー!」と、まるで別人のように激しい言葉を使って実の母に罵倒される。こうしてナオキの母ケイコは、“コロナは茶番”、“コロナは◯◯国による計画”、“コロナワクチンは人口削減が目的”、“ディープステートが世界をコントロールしている”といった主張を繰り返し、親子の距離が離れていくのであった。

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 近年、陰謀論が社会へ多大な影響を及ぼしたのが、2020年のアメリカ大統領選挙に端を発する2021年のアメリカ合衆国議会議事堂襲撃事件である。ドナルド・トランプの支持者が議事堂を襲撃したこの事件で100人以上が逮捕されたが、その多くが“トランプが世界を裏で支配するディープステートと闘っている”といった陰謀論を主張するQアノン支持者であった。母親のケイコが陰謀論を支持するきっかけとなった動画を拡散している団体は、本書で実名こそ伏せられているが、上記のQアノンに影響され、コロナ禍での反ワクチン運動とその陰謀論を主張する実在する団体だろう。

 ジョセフ・E・ユージンスキによる『陰謀論入門』(北村京子:訳/作品社)は、陰謀論について理解する一助になる。『陰謀論入門』によると、陰謀論を信じてしまう人々のなかには、強い認知的閉鎖欲求があるという。この欲求は不確実性に耐え切れず、「単純な答え」と「不確実な状況に対する説明」を求めるため、陰謀論を受け入れる可能性が高いという。また心理学的に人は他者の不正行為を疑いたいという欲求を有しており、そうした欲求を強くもつ人は何者かによって陰謀が図られたと信じやすくなることがわかっている。また陰謀の信念は情報環境との関わりかたに起因することもあるとされる。『母親を陰謀論で失った』の母ケイコもまた、ある特定の陰謀論団体の主張をSNSやネットから受け取るだけでなく、自身が陰謀論の主張を発信することで支持者が生まれる。現在の情報環境はケイコの陰謀論をさらに強化していくことが可能なのである。また、陰謀論であっても、その信念は人の内面から表れるものであるため、それらを否定し、考えを改めさせるのは難しいという。信念を否定することは自身の否定と同じであるため、本書のようにナオキからの強い陰謀論否定の言葉を受けたケイコは、さらに深く陰謀論に傾倒してしまう。

 これまで陰謀論は一部の人たちによる主張であったが、近年はネットやSNSの普及により様々な陰謀論がごく普通の人の目にも入るようになった。そうした陰謀論が身近な家族にも容易に入り込んでくる『母親を陰謀論で失った』は、私たちが陰謀論とどう向き合うかを当事者意識を持って考えさせられる一冊である。

文=すずきたけし

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