移民労働者が募った「写真花嫁」の歴史。朝鮮からハワイへと渡った花嫁たちの壮絶な人生を描く『アロハ、私のママたち』

文芸・カルチャー

公開日:2023/6/23

アロハ、私のママたち
アロハ、私のママたち』(イ・グミ:著、李明玉:訳/双葉社)

 日本や朝鮮などからアメリカ本土やハワイへと移住した移民労働者の独身男性が、祖国に自分の写真を送り、花嫁候補を募った時代があった。こうして集められた女性たちを、「写真花嫁」と呼ぶ。イ・グミ氏による小説『アロハ、私のママたち』(李明玉:訳/双葉社)は、写真花嫁として祖国を離れ、遠い地へと嫁いだポドゥルの運命を軸に物語が進んでいく。

 写真一枚で結婚相手を選ぶ。今の時代では考えられないことだろう。だが、これはわずか100年余り前に実際に起きた史実である。お見合いの場合でも入口は写真だが、対面して互いの容姿や人柄を認識する機会を経てから、交際や結婚に至る。しかし、写真花嫁の場合は違う。本当に「写真一枚」で相手との結婚を決めるのだ。そのため、配偶者を求める男性側は、年齢や職業、財力を偽るケースが多かった。

 ポドゥルと同郷に住むホンジュとソンファも、写真花嫁として共に海を渡った。ホンジュとソンファの結婚相手も、例に漏れず年齢や財力を大幅に誤魔化していた。何日も海を渡り、やっとの思いでたどり着いた異国の地で、写真とは別人の年老いた男性が夫だと知らされたら、どんな気持ちになるだろう。ポドゥルだけは、唯一写真の通りの男性が港に迎えに来た。だが、ポドゥルの夫であるテワンは、妻に一切の興味を示さず、会話すらもままならない状態だった。そんな夫の態度にポドゥルは深く傷つくが、「帰国する」選択肢はなかった。

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 1900年代初頭、朝鮮は日本の支配下にあった。ポドゥルの父親は、義兵として日本兵と戦い、死んだ。ポドゥルの兄もまた、日本の巡査に逆らって殺された。日本の支配から逃れるため、そして、貧困から脱して祖国の家族を援助するために、写真花嫁の道を選んだ女性は千余名にも及ぶ。ポドゥルはそれらの理由に加えて、「ハワイに行けば勉強ができる」と聞いたため、テワンとの結婚を決意した。しかし、その夢は叶わなかった。写真花嫁の多くは、時代の流れに翻弄され、「今日」を生き抜くだけで精一杯だった。

 当時の移民社会は、植民地である祖国の独立運動への熱意に満ちていた。パク・ヨンマンとイ・スンマンがハワイを本拠地として運動を進めていたが、二人が対立したことを機に、同胞同士が争いはじめた。ポドゥルの夫・テワンは独立運動に熱心だったため、この争いに巻き込まれた。指導者の対立は、共に祖国から海を渡ってきた友人たちとの関係にも亀裂を呼び起こす。どちらを支持するのか、どちらに属しているのか。同じ人間同士が、そんな理由で争い、傷つけ合う。令和の現代においても、よく見かける光景だ。

「世の中に、立派な戦いなんてないんだ」

 国家独立を目指し、戦前に立ったものの戦争で片足を酷く痛め、体を壊して帰還したテワンはそう呟いた。世の中で「悪」と呼ばれるものの大半は、誰かにとっての「正義」だったりする。しかし、何かを守るために何かを傷つけてしまったら、そこから「幸福」が生まれるとは思えない。何かを守るために必要なのは、争いではない。対話と、相違を理解する度量だ。

 ポドゥル、ホンジュ、ソンファは、さまざまな要因から何度か関係がぎくしゃくするも、最終的には家族のように寄り添い合う間柄となった。親戚縁者に当たる女性同士もまた、それぞれ懸命に支え合った。

 本書に描かれているのは、女性たちが時代の荒波に飲まれ犠牲になる姿だけではない。むしろ、荒波を乗り越えて逞しく生きようとする様が克明に描かれている。夢を打ち砕かれても絶望せず、互いに身を寄せ合い、助け合いながら子を産み育て、体が軋むような重労働をこなす。そんな彼女たちの生き様は、開拓者そのものだった。

 物語の大半はポドゥルの視点で進んでいくが、後半部分のみ、ポドゥルの娘のパールの視点に切り替わる。パールの視点になった途端、人物や物事の捉え方が大きく様変わりすることにハッとさせられた。

『アロハ、私のママたち』

 このタイトルの意味を知った瞬間、湧き上がった感情を一言では表しきれない。「感動」と言い切るのは少し違う。ただ、底知れぬ人の強さを感じた。

 目の届く範囲の人たちがつながり、共に生きるコミュニティは、年々失われつつある。たしかにそこには、一定の煩わしさもあるだろう。だが、いざという時に掴める手は、多ければ多いほどいい。歴史的背景だけではなく、多様な視点から問題定義を投げかける本書は、他者に対する無関心が蔓延する現代だからこそ、必要とされる作品ではないだろうか。

文=碧月はる

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