摂食障害、アルコール依存症、幻覚。虐待と性被害の後遺症に苦しむ妻を介護する夫が綴った、壮絶な闘病記『妻はサバイバー』

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公開日:2023/8/8

妻はサバイバー
妻はサバイバー』(永田豊隆/朝日新聞出版)

 多くの人は親から愛情を受けて、生きるために必要な自己肯定感を育む。しかし、中には親から虐待を受け、自尊心を粉々に砕かれる人間もいる。永田豊隆氏によるノンフィクション作品『妻はサバイバー』(朝日新聞出版)は、虐待サバイバーの妻を持つ配偶者の立場から、虐待の後遺症が及ぼす様々な症状について克明に綴っている。

 新聞記者として報道の一線で活躍していた著者は、1999年に結婚した。結婚後しばらくは穏やかな生活が続いていたものの、2002年に著者が転職し、見知らぬ土地に引っ越したのを機に妻の様子に変化が見られるようになる。最初に明らかとなったのは、妻の摂食障害だった。摂食障害はいくつかのタイプに分けられるが、著者の妻は過食嘔吐の症状が顕著だった。

 過食嘔吐の場合、まずは「過食」の衝動に襲われるため、大量の食べ物が必要となる。妻の過食にかかる食費により、著者の預金残高は一時ゼロにまで落ち込んだ。挙句、治療を促しても強く拒絶され、時には感情を昂らせた妻に暴言を吐かれることもある。精神疾患に限らず、患者を支える側の苦悩は案外軽視されがちだが、支える側が壊れてしまえば共倒れとなる。本書は、“ケアする側”の悩みや焦燥を描くことで、問題の本質に迫っている。

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 著者の妻を襲ったのは、虐待による後遺症だけではなかった。結婚から8年が経過した頃、性被害に遭ったのである。ただでさえ辛い環境下の中、追い討ちをかけるように被った苦痛。これにより、妻の病状は劇的に悪化した。当時の妻の様子を、著者はこのように表現している。

“それは、人の心が壊れていく過程を見せられるようだった。”

 加害者の臭いが染み付いたと思い込み、腕を強く擦るのをやめられない。加害者の幻覚を見て、「あそこにいる。逃げて」と叫ぶ。そんな妻の姿を見続けるのは、どれほどの苦しみだろうか。「見る」のではない。「見続けなければならない」のだ。何度も、何日も、何ヶ月も、何年も。

 妻を襲った加害者は、当初「自分の責任」と認めていた。だが、著者が法的手段に訴えた途端、「合意」を主張して証言を翻した。結果、心身共に係争に耐えられる状態ではなかった妻の命を優先せざるを得ず、夫婦は法的手段を断念した。加害者は、償いを放棄して逃げればそれで済むだろう。だが、被害者と被害者家族の地獄はその先も続いていく。妻はこの後、精神科病院への入退院を繰り返し、大量服薬による自殺を図り、アルコール依存症を患った。

 著者は、仕事、生活、妻の介護に追われ、落ち着いて睡眠を取ることさえままならない日々が続く。妻の安全を守りたい夫と、抑えきれない衝動や依存に振り回される妻。その攻防は、あまりに凄まじいものであった。

“「ひとは、一人が別の一人の面倒をそっくりみるようにはできていません」”

 作中で紹介される臨床哲学者・西川勝氏の言葉だ。一人が別の人間の人生を背負い込もうとすれば、呆気なく潰される。相手の荷物が重ければ重いほど、支えきれるものではない。公的機関の制度に頼ることはもちろん、可能であれば周囲の手助けを得ることは「必要な手段」である。だが、実際は公的制度が必要な人に届きにくい仕組みになっており、知人や親族を頼ろうにも「家族のことは家族で解決せよ」という風潮がSOSの声を妨げる。また、患者家族にとって最も頼りにしたい「病院」の対応も、医師のモラルによって大きくバラつきがあるのが現状だ。

 虐待サバイバー本人が後遺症の苦しみを訴えても、「もう大人なんだから」「親(環境)のせいにするな」など、無理解な言葉で貶められる場合も少なくない。だが、多くのサバイバーは「知ってほしい」と思っている。虐待がもたらす苦痛と、いつ終わるとも知れない地獄を。その上で、「この地獄を繰り返してほしくない」と願っている。著者の妻も、同じ気持ちを抱いていた。だから、夫が自分の闘病記録を書くことに、迷いなくGoサインを出したのだろう。

“「ぜひ書いてほしい。私みたいに苦しむ人を減らしたいから」”

 知られたくない過去。見られたくない自分の姿。そういうものを世に出してまで、社会を変えたいと妻は願った。その意味で、本書は妻と著者の共著といえよう。血を吐くような思いで綴られたであろう本書は、「大人になっても支援が必要なほど苦しんでいるサバイバーが数多くいる」ことを世に知らしめた。

「苦しむ人を減らしたい」との妻の言葉が、正しく広く伝わることを願う。覚悟を持って本書を綴った著者の思いが、変えたいものを変える力へとつなげられるかどうかは、読み手である私たち一人ひとりの肩にかかっている。

文=碧月はる

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