結婚は「負ける可能性の極めて高いギャンブル」? 40歳過ぎた女性2人のシェアハウスに潜む心の『がらんどう』

文芸・カルチャー

公開日:2023/10/8

がらんどう
がらんどう』(大谷朝子/集英社)

 すばる文学賞を受賞した大谷朝子の『がらんどう』(集英社)は、アラフォー女性ふたりがコロナ禍でルームシェアをする話である。印刷会社の経理として働いている平井と、その平井と仕事の関係で知り合った菅沼。同じアイドルグループのファンだったことが判明してから、ふたりの距離は急速に縮まってゆく。

 重要なのは、ふたりが同じグループ内の別のメンバーを応援している、という設定だ。アイドルファンの間には「同担拒否」という言葉がある。これは、同じ対象を応援する他のファンと、交流を持ちたくないというスタンスを指す。推しが被っていたら、ふたりは同居などしなかったかもしれない。著者はそこまで計算に入れて設定を作ったのではないだろうか。

 平井は男性に恋愛感情を抱いたことがない。だが、自分はこのまま結婚も出産もせずにいていいのか、と漠とした不安を抱いている。母親からの電話で従妹の妊活について聞かされたり、同年代の女性がベビーカーを押すのを見たりすると、彼女の感情は途端にざわめきだす。平井が菅沼と同居するということは、結婚や出産を諦めることに限りなく近いのだ。

advertisement

 平井はシェアハウスのことで、会社の仲間たちから色々と詮索される。平井が同居しているのが彼氏ではないと否定すると、じゃあレズビアン? と暗黙裡に疑われる。晩婚化が進み、多様性を認められているはずの昨今だが、世間の悪しき風潮や空気はそれほど変わっていない。そう思わせるリアルな描写だ。

 一方、菅沼は、両親が離婚した時の辛さを引きずっており、結婚を「負ける可能性の極めて高いギャンブル」と言う。先述のように、彼女には「推し」がおり、それだけで日々が満ち足りていたのだ。だが、Xデーは予想以上に早く到来した。菅沼が推していた男性アイドルが、若い女性と「でき婚」してしまう。菅沼は落ち込む、というか深く絶望する。結婚の相手が若いグラビアアイドルであることも、絶望に拍車をかけた。せめてアラフォーのベテラン女優だったら、と愕然とする。そんな菅沼を慰めるために、平井は旅行に誘う。

 菅沼は副業として、3Dプリンターを使ってフィギュアを作っている。需要があるのは、亡くなったペットのフィギュアだ。愛犬そっくりのフィギュアはしかし、外側は似ていても、中身は空っぽ。『がらんどう』という書名は、このフィギュアと密接に繋がっている。平井と菅沼もまた、自分の身体や精神が空っぽであるような、孤独感や虚無感を覚えているのだった。

 日々の暮らしに「空洞」を感じているふたりは、互いに欠落感を抱いており、それを埋め合わせるように寄り添う。この距離の取り方が、不即不離で面白い。恋愛感情では結びついていないが、親友と言えるほどの密な関係でもない。同じアイドルを応援する同志、といったところか。平井と菅沼の関係の変遷を追うだけでも、本書を読む価値がある。

 それにしても、と思う。ページを繰るごとに疑問が湧いてくる。なぜ皆がそこまで、結婚と出産を幸せの象徴とするのだろうか、と。生き方の選択肢はいくらでもあり、どれを選ぶかは当人の自由であるべきだ。結婚や出産をすれば必ず幸せになれるのか? 世間の旧来的な物差しで、全員の幸福度を計ることなんてできないはずだ。

 ふたりの関係は、菅沼が既婚者との不倫で外泊するようになって以降、急激にバランスを崩してしまう。菅沼のいない部屋はまさに平井にとって「がらんどう」そのものである。エンディングで平井と菅沼は3Dプリンターであるものを造るのだが、これが静かで温かな幕引きへと繋がる。筆者は読後しばらく余韻が消えず、上気したままだった。

文=土佐有明

あわせて読みたい