恋と変化をテーマにしたファンタジー作品。「あの花」の岡田麿里監督が描く映画『アリスとテレスのまぼろし工場』

文芸・カルチャー

更新日:2023/10/30

アリスとテレスのまぼろし工場
アリスとテレスのまぼろし工場』(岡田麿里/KADOKAWA)

 9月から絶賛公開中のアニメ映画『アリスとテレスのまぼろし工場』。主人公の声は榎木淳弥、ヒロインの声は上田麗奈、そして主題歌は中島みゆきの『心音』で圧倒的な世界観をもった作品ですが、監督本人が執筆した同名の小説『アリスとテレスのまぼろし工場』(岡田麿里/KADOKAWA)もまた、没入必至の内容となっています。

 あらすじを少しご紹介しましょう。主人公の菊入正宗は中学三年生で、製鉄所の爆発事故により出口が失われて、時が止まった町で日々を過ごしています。ある日、同級生の睦実に導かれて製鉄所の中に入り、言葉を話すことができない野生児のような少女・五実と出会います。この出会いが、世界の均衡を崩していくことになるとは、本人たちも、町の人々も、誰も予想していませんでした……

 本作のテーマを2つ挙げるとするならば、「恋」と「変化」だと思います。と、書いてみて気づきましたが、「恋」と「変」は上半分が同じ成り立ちをしています。糸と、取っ手のある刃物の象形で「誓いの糸を引き合う」という意味合いがあるそうです。「変」わることが悪とされる町で、心同士がつながりあう「恋」によって、新たな秩序の萌芽が見出される。ファンタジーのような導入でいて、現実的。そんなストーリーです。

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 本作の題名が古代ギリシアの哲学者・アリストテレスをもじっていることは、題名を聞いてから早い段階で多くの人が察することができるかと思いますが、実際本作の書中にもアリストテレスに関する描写が出てきます。正宗の父で製鉄所に勤める昭宗の日記に書いてある言葉です。

閉じ込められた、同じような世界。記憶力が低下しているような感じだ。
そういえば、アリストテレスがこう言っていた。希望とは、目覚めているものが見る夢だと。

「目覚めている状態の夢」というニュアンスに意識的な本作は、ノーベル文学賞を受賞したカズオ・イシグロが2015年に出版した『忘れられた巨人』に共通するところがあると感じました。

『忘れられた巨人』もやはり、ファンタジーのようでいて現実的な作品です。変化が「悪」とされている世界。人々の感情や記憶の動力源をドラゴンが握っていて、霧で満ちた町の中を、老夫婦が朦朧(もうろう)としながらも歩き、勇者のようにドラゴンを訪ねに行くという物語です。

 本作もやはり、「朦朧」という状態をうまく使っています。正宗が物語の冒頭で行っていて、筆者も中学生の頃に「そういえばこんなことをやるかやらないかが、勇気の有無をジャッジする基準だったときもあったな」と懐かしくなった「気絶ごっこ」の描写があります。物語上は、「変化」に耐えられる勇者の選定の儀式のようなものとして描かれています。

「せー、のっ!」
すると意識が、唐突に、ぶつんと途切れる。
夜に眠っている時ですら、ゆるゆると繋がっていたような気がする自分の『生まれてから今までの時の流れ』が、ざっくりと分断される。ハッと気づけば、笹倉達が自分を見下ろして笑っている。
「今、ぶへぇとか言ってたぜ。ぶへぇって!」
「お、瞳孔戻った」

「流れ」の中にいるときに、「ああ自分は流れの中にいる」と自覚することは、霧の中で遠くの見通しがつかないように、なかなか難しいものです。もしかしたら私たちも「変化を忘れさせる霧」の中にいるのかもしれない。そう思わせつつも、その中で「生きたい」と思いながら生きることの美しさを教えてくれる作品です。

文=神保慶政

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