訳の分からぬ妙な生物「クラムボン」から始まる物語は正解なのか? 作家生活50年の筒井康隆が教える小説に必要な項目31個

文芸・カルチャー

更新日:2023/12/12

創作の極意と掟
創作の極意と掟』(筒井康隆/講談社)

 安易な攻略法・手っ取り早い正解に飛びついてしまうのが人間というものである。出版社に勤め、時にライターになる身として、筒井康隆氏の書いた『創作の極意と掟』(講談社)の書名を見て、購入しようと無意識に伸びる手を止めることはできなかった。

 本書には「凄味」に始まり「幸福」に終わる31の文章表現に必須の項目が紹介されている。大江健三郎、宮沢賢治、ガルシア・マルケスなど錚々たる作家の技法を例にあげているが、驚くことにそのほとんどを筒井康隆自身も実際の作品に落とし込んでいるというから、説得力が段違いだ。これをすべて読み実践すれば、僕も素晴らしい偉大な作家の仲間入りになるのではないか……。表紙に書かれた、忍者がその知的好奇心を掻き立てられて渇望するであろう、秘密めいた絵巻物が、僕の脳みそに神秘的な文章術を授けてくれるのではないかという甘美な予感を抱いたのである。

 しかし残念ながら、世界は一問一答にはできていない。文章も然りである。答えのない問題のほうが多く存在するのだ。本書に書かれているのは、「答え」ではなく、「ささやかなヒント」だった。

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 本記事では、特に文章に正解がないことを示す1項目を取り上げて紹介したいと思う。

訳のわからぬ妙な生物「クラムボン」から始まる物語

 第5項「濫觴(らんしょう)」では、小説の書き出しについて書かれている。最初の1行が一番大切だとか、気負い過ぎないほうがいいとか色々言われる冒頭である。しかし著者はぴしゃりと「無視してよい」と言う。

 宮沢賢治を例に出している。『やまなし』の冒頭は、「クラムボン」という名の正体がまったくわからぬ動物の妙な噂で始まる。しかし、結局それはその後登場せず、一体「クラムボン」が何だったのかわからないままに終わってしまう。宮沢賢治が何を意図して「クラムボン」を登場させたのか? モデルとなる動物が実際にいるのか? 何の情報もないままに物語は進行し、そのまま終わってしまう。果ては、現代では「クラムボン」を詮索することが不粋である、ということにさえなっている。しかし、それでも宮沢賢治が偉大な小説家であることに間違いはなく、また『やまなし』が国語の教科書に載り、小中学生に物語の魅力を伝えていることに違いはないのだ。

 結局のところ、冒頭はこうあるべし! というルールなどなく、物語全体として面白ければ何だっていい、意味のわからぬ「クラムボン」なる生物が出てきても面白ければそれでいい、そういう自由さ、いい加減さが小説にはあるということなのだ。

結局、良い小説を書く「黄金」などない

“この文章は謂わば筆者の、作家としての遺言である。”

 筒井康隆氏は、つい11月1日に最後の作品集として『カーテンコール』を刊行したばかりだ。50年以上作家として活躍し、あらゆる文章表現を実験的に模索し続けた彼曰く、どんなアイデアが思い浮かんでも、その物語は「もうすでに書いてしまっている」ものらしい。

 また、あらゆる文豪を参考にした実験作を数々生み出してきた筒井康隆は、こうも記している。

“小説とは何をどのように書いてもよい文章芸術の唯一のジャンルである”

 そう、本書は創作の極意と掟としているが、これは答えではない。先人たちが遺した素晴らしい小説の数々を手本にしながらも、結局のところ創作のヒントに繋がる手がかりでしかないのだ。しかし、先人たちの文章表現により多く触れ、考え、探り、真似て、試行錯誤し、失敗する過程で、ようやく自分の表現したいものが見つかるのではないだろうか。また答えのないものを探求する姿勢こそ、人間の真の面白みなのかもしれない。

文=奥井雄義

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