エメラルドグリーンが死を招く?“コスプレ医師”は死の前触れ?歴史の裏に隠された驚き、笑い、恐怖を詰め込んだ1冊

エンタメ

公開日:2023/11/18

知れば知るほど怖い 西洋史の裏側
『知れば知るほど怖い 西洋史の裏側』(まりんぬ:著、佐藤幸夫:監修/KADOKAWA)

「事実は小説より奇なり」とはよく言ったものだ。『知れば知るほど怖い 西洋史の裏側』(まりんぬ:著、佐藤幸夫:監修/KADOKAWA)には、西洋史における嘘のような本当の話がてんこ盛りである。中世~近現代の人々による、思い込みにとらわれたり、身分を後ろ盾に無茶ぶりを繰り返したり、そして時には全力で使命をまっとうしたりする数々のエピソード。ディープな西洋史の裏側を、いくつかご紹介する。

禁忌でも止められない。ゲイの王は男を愛した

 イングランド王ジェームズ1世(1566~1625)は結婚して子どももいたが、生涯男性を愛したことで知られている。13歳で24歳年上の従兄にベタ惚れした際は、称号や宝石などを貢いだ。年を重ねると若いイケメンが好みになり、48歳の時には22歳の青年に夢中になる。王が「私の体は君に愛される準備がいつでもできているよ」とラブレターを送れば、相手も「私は犬。陛下のテーブルから落ちた食べかすを与えられ、喜ぶ犬です」と返す濃厚なやりとり。2008年に二人が過ごした建物の修復作業が行われたところ、互いの寝室をつなぐ通路が発見されたという。

 当時のヨーロッパでは同性愛を禁じたキリスト教が広まるにつれ、同性愛者は去勢や処刑されるという厳しい迫害を受けた。たまたま王はその身分により、犯罪者のそしりを免れたのだ。

advertisement
禁忌でも止められない。ゲイの王は男を愛した
ジェームズ1世の肖像。
『イングランド王・ジェームズ1世』
ジョン・ド・クリッツ(1605年頃)

紅茶とアフタヌーンティー発祥エピソード

 イギリスといえばアフタヌーンティー。紅茶が流行させた人物は、チャールズ2世(1630~1685)の妻であるポルトガルの王女、キャサリンだ。結婚するためイギリスにやってきた彼女は到着してすぐ紅茶を所望したものの、当時のイギリスに紅茶は流通しておらず、目の前に出されたのはビール。これはいかんとポルトガルから紅茶を取り寄せ、公式行事でも飲むことで一気に流行させたのだ。

 ちなみにアフタヌーンティーは1840年頃で、ヴィクトリア女王の侍女が「なんだか17時くらいにいつも落ち込む」とぼやいたのが始まり。それが空腹のせいだと気づき、紅茶に加えて軽食も食べるようになったのがイギリス全土に広まった。

紅茶とアフタヌーンティー発祥エピソード
当時、紅茶は驚異の119%もの税金がかけられた高級品だった

美しいエメラルドグリーンが死を招く

 1775年にエメラルドグリーンという新たな色が開発され、1814年には顔料として世に出回るようになると、人々はその美しい色に魅了された。ドレスをはじめ、ストッキングやアクセサリー、家具など、あらゆるものがエメラルドグリーンに染められるほど一大ブームとなったが、この顔料にはヒ素が含まれていた。造花にエメラルドグリーンの粉をまぶす仕事をしていた19歳の少女が泡を吹いて倒れた時、彼女の白目も爪も緑色に変色し、すべてのものが緑色に見えると訴えたという。実はヒ素の規制が行われるようになったのは20世紀になってからで、今なお世界各地の地下水からはヒ素が検出され中毒死する人が出ている。

美しいエメラルドグリーンが死を招く
ヒ素を含む染料で染められた鮮やかな緑色のドレス(1870年頃)

命がけで伝染病と闘ったコスプレ医師

 ヨーロッパで大流行したペスト。病の最前線にいた勇敢なペスト医師たちは、異様ないでたちをしていた。今でいう防護服は、全身を覆うコートは蝋でコーティングされ、足には山羊革のブーツ、そして顔につけたマスクには長いくちばし。この嘴部分には香りの強い各種ハーブが詰められていて、当時ペストの原因だと考えられていた瘴気から医師を守ると考えられていた。貧富の差に関係なく、自らの身の危険も冒して医療行為を行ったペスト医師たちだが、見た目のインパクトがあまりに強すぎ、彼らが現れると人々は「死の前触れ」とおびえたというから気の毒な話である。今では、この衣装はハロウィーンの定番衣装となっている。

命がけで伝染病と闘ったコスプレ医師
彼らの服装は防護服のような効果を発揮していた可能性が高いとも言われている

 最初は「ありえない」と驚いたり笑ったり、ちょっとぞっとしたりしながら読んでいくうちに、実は現代のわれわれの暮らしと根の部分は同じなのではと気づかされるのも面白い。

文=渡邉陽子