祝・100歳!小説家・佐藤愛子さんが幼い頃の幸福な日々を振り返る、作家生活最後のエッセイ集

文芸・カルチャー

PR公開日:2023/12/5

思い出の屑籠
思い出の屑籠』(佐藤愛子/中央公論新社)

 どうしてこんなにも懐かしいような切ないような気持ちにさせられるのだろう。ここには大正から昭和初めの生活がある。幼い少女の視点に立ってそれを覗けば、そこに暮らす人々の息遣いをすぐそばに感じる。

 小説家・佐藤愛子さんの最新作『思い出の屑籠』(佐藤愛子/中央公論新社)は、そんな、読む人の郷愁を誘うエッセイ集だ。佐藤さんは、今年の11月で御年100。その人生は波瀾に満ちていた。小説家・佐藤紅緑を父に、詩人・サトウハチローを異母兄に持つ彼女は、25歳の時に小説家を一生の仕事にしようと決意。2度の結婚・離婚を経験し、45歳の時に2人目の夫の莫大な借金を肩代わりした実話をもとに書いた『戦いすんで日が暮れて』で直木賞を受賞した。痛快エッセイ『九十歳。何がめでたい』(小学館)が大きな話題を呼んだことは記憶に新しいだろう。その続編を書いた時、そのまま断筆するつもりでいたが、毎日がヒマでヒマでたまらず、思わず書いたというのがこの作品。そして、このエッセイ集をもって、今回こそ本当に作家生活に終止符を打つつもりなのだという。

 佐藤さんが、最後に書きたかったのは、幼い日々の幸せな思い出だ。甲子園に近い兵庫・西畑で過ごした、両親、姉、時折姿を現す4人の異母兄、乳母、お手伝い、書生や居候、という大家族での暮らし。その中で、末っ子の「アイちゃん」は大人たちの様子をじっと観察する。

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 驚くべきはその観察力だ。“グナグナ”の乳房をいつまでも触らせてくれた乳母。雷のようにバリッバリッと鳴り響く、お父ちゃんが階段を下りる足音。給料代わりに蚊帳を持って駆け落ちしていった書生と女中。サンタクロースからであるはずのプレゼントの箱にあった、西宮の子供服専門店のマーク。「正直が一番だ」といったお父ちゃんが、会いたくないお客さんに使う「留守や」という嘘。——佐藤さんは生まれながらにして小説家だったのかもしれない。子どもならではの視点には思わずハッとさせられる。それに、その記憶力にも驚かされる。

 たとえば、初めての記憶は、食卓伝いにヨチヨチ歩きした時のこと。火鉢の模様を指差してそこに書かれた鳳凰の模様を「コッコゥィ……」というと、お父ちゃんが「そうかい、そうかい、これはコッコかい。かしこいねえ、アイちゃんは……」といった。何をいってもお父ちゃんは「かしこいねえ」というから、そういわれるのは格別にうれしいとは思わず、アイちゃんは、雨の音を聞き流しているのと同じようにそれを聞いていたのだという。そんなアイちゃんならではの視点で切り取られた、ささやかな日々が、私たちの心をキュッと締め付けてくる。

 特に印象的なのは、「全生涯で一番の幸福」という作品だ。夜寝る前、階段の下から2階に向かって、アイちゃんが「お父ちゃーん、お休みなさーい」と声をはり上げると、「おう」と太い声が落ちてくる。佐藤さんにとって、このお父ちゃんの「おう」が「幸福の源泉」だった。「満ち足りた平穏というか、大きな力に守られている安心感のようなものがわたしを包むのだった」と佐藤さんは振り返る。何気ない日常にこそ、幸せな時間がある。このエッセイを読めば、佐藤さんが幼い日々を振り返るのと同じように、「自分にとっての『一番の幸福』は何だろう」と、ふと私たちも昔のことを思い出したくなるだろう。

 このエッセイに描かれた大正から昭和初めの生活は、経験があろうとなかろうとどこか懐かしい。どういうわけか、自分の中にある幼い頃の記憶が蘇ってくる。自分の中の何かが呼応して、何だかウルッときてしまう。心にじんわりと染み渡る、そんな小説家・佐藤愛子の「最後の作品」を、是非ともあなたも手にとってほしい。

文=アサトーミナミ

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