罪の感染拡大を一冊にまとめた『ツミデミック』。一穂ミチの描く“犯罪小説集”での「正しさ」とは?

文芸・カルチャー

PR公開日:2023/12/22

ツミデミック
ツミデミック』(一穂ミチ/光文社)

 先の見えない禍にのまれ、その中で揉まれるうち、私たちは多分に狂わされた。真面目に暮らしてきたはずなのに、今はこのざま。人生という時間が狂わされたのはもちろんだが、もがき苦しめられ続けるなかで、価値観だって滅茶苦茶だ。特に思うのは、「正しさとは何か」ということ。おかしくなってしまった世界の中では、もうなりふり構っていられない。自分の中の正しい道を貫き通さねばならない。そんなことを思う人も少なくないのではないか。ときにそれが、人の道から外れていたとしても。

 短編小説集『ツミデミック』(一穂ミチ/光文社)を読んでいると、そんな禍にのまれた人たちの息遣いを、そして、その人たちが犯す罪をすぐそばに感じる。作者は、一穂ミチさん。一穂さんといえば、『スモールワールズ』や『光のとこにいてね』で、直木賞や本屋大賞など多くの文学賞にノミネートされたことが記憶に新しいが、本作もこれから大きな話題を呼ぶことは疑いようがない。身に降りかかった禍の中でどう生きればいいのか。この“犯罪小説集”に収められた6篇の短編は、ほっこりさせられるものから、突然冷や水を浴びせかけられたかのように、背筋が寒くなるミステリーまで、テイストはさまざま。どれもまばゆいばかりの妖しい光で私たちを惑わせてくる。

 子育ての合間、デリバリーを楽しむ主婦の「ロマンス☆」、長い眠りから覚めた女子高生とその友人、担任の「憐光」、高校生の娘が妊娠したことに悩む父親と、その事実を知らない認知症疑いの祖母の「祝福の歌」、SNSで出会った5人のオフ会「さざなみドライブ」——この短編集に登場するのは、一見どこにでもいそうな人物だが、それぞれ禍にのまれた結果、人生が大きく狂わされている。ときには「正気か」とゾッとされられるような思考回路の持ち主だっているし、「禍転じて福と為す」とは限らない。だが、何だか他人事とは思えないのだ。「もしかしたら、私も。もし、そうでなくとも、家族や友人、近隣の人、身近な人が同じ思考に陥っても、おかしくないのでは?」——この本にはそう思わせてくる恐ろしさがある。

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 たとえば、本書の冒頭に載せられた「違う羽の鳥」の主人公は、大学を中退し、夜の街で客引きのバイトをしている優斗。ある日、優斗はバイト中に生まれて初めての逆ナンに遭う。声をかけてきたのは、大阪弁の女。優斗は浮かれていたが、彼女は中学時代に死んだはずの同級生・井上なぎさの名を名乗る。「奇跡やん、東京の真ん中でさあ、こんなふうに会えるとか」。無邪気にはしゃぐ、なぎさの姿はあまりにも不気味だ。彼女は本当に、井上なぎさなのか。何が目的なのか。優斗が動揺するのと同じように、私たちもなぎさの話に戸惑わずにはいられない。

 一方で、「特別縁故者」には心温まる。主人公は、調理師としての職を失い、家に篭りがちの恭一。恭一に代わって懸命に働く妻の態度は日に日に冷たくなっていくが、どうしても新しい仕事を探す気力が湧いてこないでいる。そんなある日、小学校1年生の息子・隼が、聖徳太子の描かれた旧一万円札を持って帰ってきた。どうやら近所の一軒家に住む老人からもらったものらしい。隼からそれを奪い、タバコ代に使ってしまった恭一は、翌日、老人宅を訪れるのだが……。どんな不穏な展開が待ち受けるのかと思えば、そんな緊張がどんどんほぐされていく。こんな希望が世の中にもっと転がっていればいいのに。そう思わされるような感動作だ。

「縁は異なもの味なもの」という言葉がある。それは「男女の縁」について言われた言葉だが、縁の不思議さは、何も男女の仲だけに限ったものではないだろう。人と人はどう結びつくか分からない。この本を読んでいると、一期一会の出会いの素晴らしさと恐ろしさとを同時に感じてしまう。人と人との出会いはどう転ぶか分からない。それが福を招くのか、禍を招くのか。だけれども、私たちは誰かと出会わずにはいられない。それだけは紛れもない事実だ。

「感染爆発」を示す用語「パンデミック」を文字ったのであろう『ツミデミック』。その感染力はあまりにも絶大だ。毒が体中に回ってくるかのようというか、自分の中の軸を揺さぶられるかのようというか。短編なのに、奥深い。人との出会いをどう捉えるか。何を正しいと思い、どういう道を歩むか。この物語には、人生が一瞬で変わってしまうような鮮烈な出会いが描かれるが、この本を読めば、きっとあなたの人生だって、確かに変わってしまうだろう。

文=アサトーミナミ

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