『このミス』海外編第1位の、血と暴力と人種差別が入り乱れる圧倒的犯罪小説。息子が顔を撃ち抜かれて殺された真相を追え!

小説・エッセイ

公開日:2023/12/28

頰に哀しみを刻め
頰に哀しみを刻め』(S・A コスビー:著、加賀山卓朗:訳/ハーパーコリンズ・ジャパン)

『このミス』海外編第1位の『頰に哀しみを刻め』(S・A コスビー:著、加賀山卓朗:訳/ハーパーコリンズ・ジャパン)を読み終えて唸った。LGBTQ、同性愛嫌悪、人種差別、貧困と犯罪、そして家族という、アメリカ社会のコミュニティに内在するこれらすべてのテーマを、圧倒的なリーダビリティとともに見事にエンタテインメントとして昇華した本作の完成度の高さに、ただ唸るしかなかった。

 過去に殺人で服役していた黒人のアイクは足を洗い、出所後に庭園管理会社を経営していたが、ある日息子のアイザイアが彼の白人の夫デレクとともに顔を撃ち抜かれて殺されたと警察から告げられる。さらに息子たちの墓石が差別主義者によって破壊され、アイクは息子の夫デレクの父親、バディ・リーと二人で息子たちを殺害した犯人を捜しに乗り出す。

 主人公は、更生し会社経営者として真っ当な生活を築いているアイクと、レッドネック(白人貧困層)で服役経験ありという飲んだくれのバディ・リーの二人。“非協力的”な相手にはそれまでのキャリアに裏打ちされた会話術や恫喝(そしてちょっとした暴力)によって犯人捜しを行っていく。こうした暴力的な小説、いわゆる「犯罪小説」ではあるものの、沈鬱な場面に偏らずユーモアをちりばめた硬軟のバランスは見事というほかはない。例えばアイクが電話で白人の話し方を真似る場面や、バディ・リーが車のトランク一杯の覚せい剤で捕まって5年の刑だったと自慢げに言うと、アイクは「おれみたいな外見なら、刑務所で死んでもおかしくない」と溜息とともに呆れる場面など、互いをおちょくる二人の会話がとにかく可笑しく、物語を読み進めるうちに一見強面の彼らに親しみを抱くようになるのである。

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 また、息子二人が遺した娘のアリアンナをバディ・リーがあやす場面で、夭折したカントリー歌手ハンク・ウィリアムズの“アイ・ソー・ザ・ライト(I Saw The Light)”を歌う場面は印象的である。アイクは遠くからバディ・リーの歌声に感心するのだが、白人音楽の象徴であるカントリーミュージックの大家のハンク・ウィリアムズのギターは、ブルースミュージシャンである黒人のルーファス・ペインから学んでいるのだ。こうした小さなエピソードひとつとっても登場人物の関係を細部まで考え抜いている作品であることが窺える。

 一方で二人は様々なコミュニティの問題に直面する。黒人であるアイクは息子であるアイザイアを通して、黒人コミュニティにある根深い同性愛嫌悪を意識するようになる。バディ・リーはアイクと接することでこれまで意識していなかった自身の人種差別意識に気付くことになる。またバーテンダーのテックスが話した、黒人のなかには、レイシストよりもゲイを嫌う人がいるという話がとても強く記憶に残る。アイクはゲイは隠せるが黒人であることは隠せないと反論するが、テックスが指摘したのはその本当の自分を隠すべきだというアイクの考えにあった。ゲイである息子たちを拒絶していたアイクとバディ・リーの二人は、息子たちが生きていたコミュニティに接していくことで彼らの思いを少しずつ学び、無自覚な偏見、そして自分たちのコミュニティへの意識も変化していくのである。

 こうした主にアメリカの南部を舞台にアウトローや労働者を描いた、西部劇と南部ノワールの中間のような小説のジャンルは“Grit Lit”と呼ばれる。ジャンル自体は以前からあったものの、地域固有の文化などが薄れ均質化が進む現代において“Grit Lit”はアメリカ南部の文化的特色が魅力的に映るジャンルとして近年アメリカでトレンドとなっている。著者のS・A コスビーもまた本作と同じく前著『黒き荒野の果て』(ハーパーBOOKS)でアメリカ南東部を舞台にした小説を書いていて、“Grit Lit”作家のひとりとされている。

頰に哀しみを刻め』はジャンル小説としての娯楽性を存分に提供しながらも、人種や性的マイノリティそれぞれのコミュニティが抱える問題について読者に当事者意識を持たせてくれるだろう。本作を読み終えるとエンタテインメント小説の力強さと可能性、そして一級の完成度に唸ること間違いなしである。

文=すずきたけし

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