「ケアの炎をまき散らせ。看護は芸術である。」――従来のナイチンゲール像を変える、まだ知らないナイチンゲールを描く一冊

文芸・カルチャー

公開日:2024/2/28

超人ナイチンゲール
超人ナイチンゲール』(栗原康/医学書院)

ケアの炎をまき散らせ。看護は芸術である。集団的な生の表現である。看護は魂にふれる革命なのだ。

 上記の文章は『超人ナイチンゲール』(栗原康/医学書院)からの引用だ。

 本書は平たく言えば「ナイチンゲールの評伝」なのだが、著者は文体も超アナーキーなアナキズム研究者の栗原康氏。子供向け学習まんがで紹介されてきた「献身の人」「戦場に舞い降りた天使」といったイメージではなく、まったく新しいナイチンゲール像を描きだす本となっている。

 そんな本書のキーワードといえるのが「神秘主義」と「ケア」だ。

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 フローレンス・ナイチンゲールは、「上流階級の生まれなのに、当時は“いやしい職業”であり、労働環境も劣悪を極めていた看護の仕事に就いた女性」として知られている。だからこそ彼女は自己犠牲精神を体現した聖女のように扱われてきたのだが、本書は彼女が神の声を聞く“神秘体験”をきっかけに看護の道に邁進した神秘主義者であることを柱に、評伝を書き進める。

 ……と書くと、「ナイチンゲールは“スピッちゃった”ヤバい人なのか」と感じるかもしれないが、著者は「看護は神秘主義としてのケアにほかならない」と断言。彼女が神秘主義だったからこそ、近代的な個人のあり方をはみ出した「看護」を生み出せたのだと解説する。

 なお、本書で使われる「ケア=看護」とは、「とにかく相手に寄り添うこと」「他人の感情のただなかに自己を投入すること」「賃金労働でもなく、目的もなく、“救うがゆえに救うこと”」。そこでは主体/客体の区別はあやふやになり、能動/受動や支配/服従という価値体系も揺さぶられ、時間の感覚も消えていく……。

 本書のタイトルが『超人ナイチンゲール』なのは、そんなナイチンゲールの生き方、看護のあり方が、合理的に生きる近代的な人間を超えている……という意味が込められているわけだ。

 そしてこの本の描きだすナイチンゲール像は、「なぜ彼女が看護の祖となれたのか」について、「献身の人」や「聖女」といった従来のナイチンゲール像よりも圧倒的に納得感の高いものになっていると感じられた。

 また本書は、「ナイチンゲールは女性であるがゆえに過小評価されてきたのではないか」とも考えさせられる1冊でもあった。少なくとも筆者は、本書で彼女が幅広い学問を学び、知識人と深い交流を持っていたことを知り、「自分はナイチンゲールが“女性”だからという理由で学問とは無縁な人だと思い込んでいたんだな」と気付かされ、大いに反省させられた。

 もう一つ個人的な感想を述べると、本書の「看護」の定義するような、とにかく相手に寄り添うなかで時間の感覚も消えていく……という感覚は、筆者が育児をするなかで覚えた感覚に近いものだった。

 近年の世界では、育児や介護などの「ケア労働」のあり方が徐々に見直され、「日本では女性の無償ケア労働の負担が重すぎる」といった批判が集まっているのは周知の通り。そして本書には「次のキリストはおそらく女性だろうと私は信じている」という、ナイチンゲールの小説『カサンドラ』の一節も引用されている。

『超人ナイチンゲール』は、そんな彼女の予言の真意がやっと理解されるようになった時代の1冊としても、学ぶべきことが多い内容となっている。

文=古澤誠一郎

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