アカデミー賞最多13部門ノミネート『オッペンハイマー』。ようやく日本上陸したクリストファー・ノーラン最新作の原案本をご紹介

文芸・カルチャー

公開日:2024/2/27

オッペンハイマー 上 異才
オッペンハイマー 上 異才』(カイ・バード、マーティン・J・シャーウィン:著、河邉俊彦:訳、山崎詩郎:監修/早川書房)

 ゴールデングローブ賞をはじめ様々な映画賞を受賞、アカデミー賞では最多13部門にノミネートされ2024年3月の結果発表に注目が集まるクリストファー・ノーラン監督最新作『オッペンハイマー』。海外では2023年に公開されはじめ、日本では3月29日から公開になりますが、本稿で紹介するのはその原案となった『オッペンハイマー 上 異才』(カイ・バード、マーティン・J・シャーウィン:著、河邉俊彦:訳、山崎詩郎:監修/早川書房)です。

 2006年にアメリカの文化賞であるピュリッツァー賞を受賞した本作は、上、中、下巻の3部構成で、上巻「異才」は、のちに「原爆の父」と呼ばれる天才物理学者、ロバート・オッペンハイマーの少年~青年期が描かれています。なお中巻「原爆」では壮年期、下巻「贖罪」では晩年、という構成です。

 1904年に生まれたオッペンハイマーはいかに複雑で強靭な精神の持ち主であったか? 本作はその点を掘り下げていくのですが、それと同時に彼もまた一人の人間であり、どんな「弱さ」を持っていたのかにも著者は焦点をあてています。

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 裕福な家庭でしっかりした規律のもとで育ったオッペンハイマーは子どもらしい「いたずらをしてやろう」などとは、到底思い至らないような考えの少年に育っていきました。14歳の夏にキャンプに参加すると、「かわい子ちゃん」と呼ばれ、いたずらっ子に過大にからかわれます。しかし反撃せず、詩集を読みふけるような心を持っていたといいます。

 各章のはじめに書かれている言葉のひとつに、物理学者のイジドール・イザーク・ラービが「私が最も単純な人間ではないことは間違いない。しかし、オッペンハイマーと比較したら、非常に単純である」と評したものが引用されていますが、本書はオッペンハイマーの脳内に入り込んで、単純さの奥にある複雑さと、複雑さの中に見いだせる単純さを往復していきます。

オッペンハイマーの物理学習得のアプローチは、多岐にわたり、ときに無計画でさえあった。彼はその分野における最も面白く、抽象的な問題に集中した。そして、退屈な基本は迂回した。何年か後に、彼は自分の知識にあるギャップに不安を感じると告白したことがある。「今日でも、煙の輪とか弾性振動のことを考えるとパニックに陥る」。

 第二次世界大戦中の壮年期には原子爆弾の開発と製造を目的とした「マンハッタン計画」の科学部門を主導していく存在となり、晩年には原水爆反対運動に加担。読者はそのようなオッペンハイマーの一生の、最も「激動」の部分をいくらか知った状態で本書を手にすることでしょう。

 だからこそ、時に単純で、時に複雑な、知られざる彼の少年期、青年期の出来事や葛藤を知っておくことは、オッペンハイマーという存在を深く見つめるために不可欠といえます。20代に教鞭を執った際のこんなエピソードは、「単純な意外さ」を提示してくれます。

彼はかなりの数の博士課程の学生を論文の共同執筆に誘った。そして必ず共著として学生の名前を出した。「有名な科学者だったら、たくさんの汚れ仕事を自分のためにさせるのは容易である」。ある同僚は言った。「しかしオッピーは学生の問題解決に手を貸し、成果は学生のものとした」。彼は自分のことを「オッピー」と呼ぶように勧めた。

 映画を鑑賞する前に、人類の歴史を動かした「異才」がどのように形作られていったのか、ぜひ手にとって確認してください。

文=神保慶政

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