過剰に与えられる栄養は子にとって毒。一穂ミチ、窪美澄、綿矢りさなど人気作家7人が送る恋愛小説集

文芸・カルチャー

公開日:2024/3/27

二周目の恋(文春文庫)
二周目の恋(文春文庫)』(一穂ミチ、窪美澄、桜木紫乃、島本理生、遠田潤子、波木銅、綿矢りさ/文藝春秋)

 恋をすると周りが見えなくなると、多くの人は言う。しかし、周りは冷静なほど見えているのに、自分のことは見えなくなるケースもままある。一穂ミチ氏、窪美澄氏、綿矢りさ氏など、人気作家7人が送る恋愛小説アンソロジー『二周目の恋(文春文庫)』(一穂ミチ、窪美澄、桜木紫乃、島本理生、遠田潤子、波木銅、綿矢りさ/文藝春秋)では、恋にまつわる人生のワンシーンが繊細な感情と共に描き出される。バレンタインに手作りチョコを渡そうと奮闘する大学生、日米で分かれて育ち19歳で再会した双子、夫の死後、海辺の別荘地で出会った女性に惹かれる未亡人。まったく毛色が違う物語が全7章収録された本書は、タイトルに違わずそれぞれの恋がぐるりと回転する。

 本書の主人公たちが手にするものは、必ずしも恋だけとは限らない。恋愛小説でありながら人生そのものを色濃く映した作品たちは、物語ごとに異なる着地点を持つ。恋愛中の人間は、何も恋だけをして生きているのではない。生活の中に侵食してくる恋の要素に振り回されながらも、過去から連綿と続く己の生を歩んでいる。その様を特に強く感じたのは、遠田潤子氏による「道具屋筋の旅立ち」であった。

 本章の主人公・優美は、気が弱く従順な性格で、恋人の誠に逆らえない。誠は優美のそんな性格を見抜いた上で、服装や化粧に至るまで“俺好み”に染めようとする。見下すような発言を連発する誠に対し、優美は時折異を唱えるも、強く言い返されると押し黙ってしまう。不満も怒りも悲しみも、すべて飲み込む。そんな優美の姿は、傍目から見ると気を揉むが、誰しも大なり小なり身に覚えがあるだろう。怒りたい時に怒り、悲しい時に泣く。大人も子どももそれが許される世の中なら、きっともっと息がしやすい。しかし、現実はありのままで生きることをおいそれと許してはくれない。

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 優美は、総じて自分に自信を持てない人間であった。彼女が本音を飲み込み、周囲からはみ出さないように縮こまって生きる様は、幼少期の生育環境に起因する。

“「残したらあかんよ。吐いたらあかんよ。あんたのために作ったんやから」”

 母の声がこだまするたび、優美は強烈な吐き気を覚えた。すり潰された餌。限界を超えても流し込まれるどろりとした液体。動かなくなった雛鳥。すり鉢の中でごりごりと鳴る擂り粉木の音を聞くと、トラウマが蘇る。雛鳥は優美だった。優美はただ何も言わず、逆らわず、流し込まれる餌を無心で飲み込み続けた。許容量を超えた雛鳥は死んだ。優美の身体は生き残ったが、心はとうにすり潰されていた。親が子を虐げる方法は、わかりやすい暴力にとどまらない。何も与えられないネグレクト同様、過剰に与えられる栄養もまた、子どもにとっては毒になり得る。

 一見横暴な誠もまた、人には言えない秘密を隠し持っていた。それは本来、秘密にする必要のないものだった。しかし、社会の空気が誠の本心に蓋をすることを強いた。彼の言動に手ひどく傷つけられる日々の中で、優美は誠の秘密を知る。その後、優美の中で大きな変化が起き、彼女は過去との決別を果たす。

“自分の身体は自分のもんや。自分がどんな身体でいたいかは自分で決めるんや”

 優美が誠に伝えた言葉は、幼い優美自身に伝えたかった言葉でもあったろう。対極に見えた優美と誠は、望まぬ箱に押し込められた者同士だった。“女らしさ”や“男らしさ”が持て囃される風潮は、ここ数年でずいぶん様変わりした。そもそも、ジェンダーが「男」と「女」の枠組みだけで定められるものではないことは、今や常識である。それでも、未だ根強く残る風潮が多くの人に見えない呪いをかけている。体型や服装などの外見を含めて、他者の生き方を「こうあるべき」の箱に閉じこめる人の傲慢さが、要らぬ歪みをもたらす。

 何を持ってしてハッピーエンドとするかを決められるのは本人だけだ。ハッピーエンドは、人の数だけある。本書を読んで、そのことを改めて自覚した。恋愛模様を通して描かれる各々の人生は、葛藤や羞恥と共に希望が内在する。優美の言葉通り、自分の身体や生き方を自分で決めてこそ人生は輝く。もっとも不可解な“自分”という存在に向き合うことが、恋や人生の結末を左右する大きな要因なのかもしれない。

文=碧月はる

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