「まんまと騙された!」辻堂ゆめの驚愕のミステリー。昼と夜とで見えてくる真実が変わる物語

文芸・カルチャー

PR公開日:2024/4/22

二人目の私が夜歩く"
二人目の私が夜歩く』(辻堂ゆめ/中央公論新社)

 共鳴、共感、シンパシー。相手の胸の拍動と、自分も同じリズムを刻んでいるような感覚。身体中が熱くなり、他人とは思えないほど、深く感じる結びつき。『二人目の私が夜歩く』(辻堂ゆめ/中央公論新社)では、そんな女性たちの、姉妹のような、親友のようなつながりが描かれる。著者は、『十の輪をくぐる』(小学館)で第42回吉川英治文学新人賞、『トリカゴ』(東京創元社)で第24回大藪春彦賞を受賞した、辻堂ゆめ。「プロローグ」「昼のはなし」「夜のはなし」「エピローグ」と4つの章で構成されるこの物語には、多くの人が騙されることだろう。ずっと追ってきた景色が、夜の訪れとともに姿を変える。自分が見てきたものは本当に正しいのか。そんな驚きと疑念を感じさせる衝撃のミステリーなのだ。

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 主人公は、高校3年生の茜。市内に住む寝たきりの患者を訪ねる「おはなしボランティア」に参加することになった茜は、10代の頃の交通事故で半身不随になったという咲子と出会った。咲子は茜よりも12歳も年上だが、茜は出会ってすぐから咲子との時間に癒しさえ感じていた。口下手な茜が何を話していいか困っていると、咲子は「そこにいてくれるだけで——いいんだよ、嬉しいもん」と、おっとりとした口調で温かい言葉をかけてくれた。身体が弱く、部活もすぐに辞めてしまい、受験勉強にも意味が見出せないでいた茜にとって、ありのままの自分でいても許される咲子との時間ほど、かけがえのないものはない。そして、その日から不思議なことが起こる。夜、自覚のないまま活動する茜の身体。「夢遊病」を疑う家族とは違い、茜は、夜、自分の身体を使って自由に動き回っているのは、咲子ではないかと確信する。どういう訳か、茜と咲子は、昼と夜とで、ひとつの身体を共有することになってしまったらしいのだ。

 夜だけ、大切な人と、身体が入れ替わっている——そんな不思議な現象に気付いたら、あなたならどうするだろうか。何の夢も目標もなく、ただ毎日を生きていた茜は、咲子のためならばと、夜の時間、自分の身体を喜んで咲子に提供した。入れ替わりなんて現象、いつなくなるか分からない。だからこそ、「今のうちに好きなことをいっぱいしておいてほしい」と茜は咲子に告げたのだ。半身不随でずっとベッドの上で動けずにいた咲子は、茜のそんな申し出にどれほど喜びを感じただろう。夜、どんなことをしたのかという、咲子からの報告に、茜はどれほどの生きがいを感じただろう。そんな二人の関係はなんて温かなのだろうか。だが、昼も夜も活動する茜の身体は次第に疲れ果てていき……。

 そうして、夜の時間がやってくる。「昼のはなし」を読み終え、「夜のはなし」を読み始めた時、一瞬、誰もが混乱するだろう。驚かずにはいられない。ちりばめられていた伏線が怒涛の勢いで回収され、次第に、今まで見えていたのとは全く異なる真実が見えてくる。ネタバレになってしまうから上手く言えないのだが、私は、「自分は今まで何を見てきたのだろうか」、そして、「何を見落としてきたのだろうか」と、呆然としてしまった。それは、この物語についてだけではない。実生活においても、もしかしたら、自分は同じ過ちをおかしているのではないかと考えさせられたのだ。

 人は、昼に見せる表情と、夜に見せる表情が違う。昼間、明るい日の光の中では取り繕ってしまっていても、夜の暗闇の中にならば、人は、自分の本当の部分をさらけ出せることもある。そんな本当の自分、普段は見せたくない部分だって、一概に悪いとは言えない。だけれども、そうだとしても……。読後、心に深く残る余韻。それは、あまりにもビターで、痛みに似た、後悔にも似た悲しい余韻だ。この夜の果てに、あなたは何を見るだろうか。あなたも、この驚愕のミステリーに、大いに驚かされ、大いに反省させられてほしい。

文=アサトーミナミ

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