伊藤潤二『溶解教室』は、ホラー好きの心を一気につかむ最強のコミック
更新日:2016/1/14
一連の「ゾンビ」ものというのは、まことに、つまらねえ映画であるといつも思う。同工異曲の外貌をした死者がギクシャクと現れヒトを喰らい、たまにはタヌキなんぞにかぶりついていても罰は当たるまいものを、内蔵が引き出され、それからあとは真っ赤な血だまりがドロドロとそこいらへんを蹂躙するという具合だ。どの映画を見てもほとんどこの器で料理は捌かれるわけで、新味のある作品が出てこないのも退屈だが、なによりもこの原型が僕には面白くない。とことん即物的な恐怖と物語処理には、「怖がる心」が取り残される。ついていくのはイヤだイヤだという。
それでは僕がホラー映画が嫌いかというと、好きなんだなこれが、相当に。いちばん好きなのがダリオ・アルジェント監督の『サスペリア』。次がドン・コスカレリ監督の『ファンタズム』。邦画なら森田芳光監督『黒い家』はよかったなあ。どれをとってもその世界は妖しく、唯美で、つじつまの上手くあわぬ箇所もあり、それが観客の不安をさらにあおる。
と、そういう嗜好の人間がなぜ伊藤潤二のレビューを書きやがる、と諸兄においてはさぞかいぶかしいことでありましょう。
でも、ホラーコミック作家伊藤潤二は面白いんだからしかたがない。なんといっても読み手の虚を突く千変万化の奇想が素晴らしい。アイデアが超一級なのである。思いもかけない展開もこちらを驚かす。物語の背後に潜む見えない世界が僕たちの日常を脅かす。
考えてみれば、これらはみんなすぐれた物語というものを成立させる大事な要素と重なっているではないか。伊藤潤二は物語作家として最高の資質を備えていることになる。
ある高校にひとりの青年が転校してくる。阿澤夕馬と名乗る彼は、単に気が弱いではすまない、過剰な罪悪感を抱えているのか、とにかく謝る。なんの落ち度もないときにも、「すいません、申し訳ありません」と、土下座までするありさまで、ことごとく「痛い」のだが、そのうち彼の謝罪には恐ろしい秘密のあることが知れてくる。
この恐るべき秘密というのが、ジワジワ余計な間なんかもたせずに、バッティングセンターのボールのごとく、速球で打ち出されてくるのが快感たるところ。読みながらおちおち大福なんか食べてる場合ではないんである。
そうです、伊藤潤二はスラスラ読めるんですね。いかなコミックでも数十ページ読んではフッとため息をつき、番茶なぞしばし嗜み、勇躍、再び本に向かうへたれの僕が、伊藤潤二だけは間断なく1冊をやっつけることができる。しかしこの無休の読書は、作品が薄いからではない。水のように抵抗のないプロセスが読み手を先へ進ませるのとは違う。コマの構成が的確だからである。セリフとセリフを結ぶ理屈がダイナミックだからである。
『溶解教室』は、ホラー好きの心を一気につかむコミックだ。