「おもてなしの精神」に苦しめられる日本人。顧客満足度に支配された労働システムを問い直す

社会

公開日:2017/6/14

『「おもてなし」という残酷社会: 過剰・感情労働とどう向き合うか』(榎本博明/平凡社)

 日本人の高い職業意識と気遣いを象徴する言葉として使われている「おもてなし」。2013年、滝川クリステルさんが東京五輪誘致のスピーチで登場させたことから、「おもてなし」の概念は世界中に広まっていった。日本を訪れた外国人は口々に「日本人の礼節は素晴らしい」と感嘆する。「おもてなし」が日本人の美徳であることは間違いない。

 しかし、「おもてなし」の定義を誤解し、従業員を苦しめる企業があまりにも増えすぎているのではないか?『「おもてなし」という残酷社会: 過剰・感情労働とどう向き合うか』(榎本博明/平凡社)は長年、日本人のストレスについて研究を重ねてきた著者が放つ、強烈な問題提起である。

 日本では過剰労働を強いる企業の倫理観が度々問題にされてきた。いわゆるブラック企業体質である。ブラック企業では、従業員がサービス残業や休日出勤を繰り返し、ノルマのプレッシャーに追われているうちに心身両方を疲弊させ、酷いときは自殺にまで追い込まれてしまう。従業員を守るはずの企業が従業員を磨耗させる、即刻改善すべきシステムだ。しかし、従業員側にも疑問が残る。どうして、彼らは取り返しがつかなくなる前に「逃げ出す」という道を選ばなかったのか?

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 著者は欧米の「自己中心の文化」と日本従来の「間柄の文化」の関係に原因を見出す。欧米では従業員が会社や顧客のためではなく自分のために働いている。だから、苦痛になるまでの過剰労働は避ける傾向がある。一方、日本人は「辛いのは自分だけではない」「お客様を優先的に考えなければならない」という心理が働く。そのため、劣悪な労働環境からも逃げ出せなくなってしまうのだ。

 それでも、かつての日本では従業員と顧客の間に信頼関係が保たれており、顧客が無理な要求を押し通すことがなかった。だからこそ、従業員も余裕を持って礼儀正しく顧客に接することができる。「おもてなし」の本来の姿は、互いへの敬意を忘れない心だったのである。

 それがいつしか、過剰なお客様扱いが「おもてなし」の意味するところとなり、顧客の要求はどんどんエスカレートするようになった。著者は、こうした変化の背景に「顧客満足(CS)度」の導入があると説く。欧米の企業ではCSがサービスのクオリティーを見極める基準となっており、CSが目標値に達するよう、従業員を教育する習慣がある。日本でもCSを意識した労働を取り入れ、顧客中心の概念が定着していった。

 しかし、もともと礼儀正しい接客が基本だった日本に、CSの導入は必要だったのだろうか? 顧客がどんなに無茶な要求をしても従い、従業員たちの負荷を大きくしていく日本企業はバランスを失っているようにも見える。CSとは、そもそも顧客への対応が悪かった欧米の企業が業務改善を意図して導入した考え方なのであり、日本に持ち込んだことで従業員と顧客の心地いい関係は崩れ去ってしまった。

 CSに悩まされているのは接客業だけではない。場に相応しく感情を演出することを求められる「感情労働」の現場でも、目立った弊害は生まれている。教職員、看護師、介護士、交通機関の職員などは理不尽なクレーム(「うちの子の成績が悪いのは教え方が悪いからだ」「大切な会議があるのにどうして電車が遅れるのか」など)に晒されても感情を殺し、気持ちよく「おもてなし」することが義務づけられている。彼らの溜まりに溜まったストレスはいつ爆発してもおかしくない。また、些細な言動がすぐにクレームに発展するため、多くの職場で上司と部下間のコミュニケーションが失われている。日本人の習性に合わない過剰な個人主義が、社会人の感情を抑圧するようになったのだ。

 欧米の真似をしなくても日本人本来の良さを生かした企業の在り方があるはずだと本書は訴える。そして、現状を乗り越えるアドバイスとして、柔軟性に富んだ心「レジリエンス」の重要性を紹介している。歪な様相を極める日本社会では、「強い心」以上に「柔軟な心」が求められていくのだろう。

文=石塚就一