村上春樹の最新翻訳本! アメリカ文学のカリスマ、グレイス・ペイリー最後の短篇集『その日の後刻に』

文芸・カルチャー

更新日:2017/11/11

『その日の後刻に』(文藝春秋)

2017年3月に出た、これまでの翻訳仕事についてまとめられた『村上春樹翻訳ほとんど全仕事』(村上春樹/中央公論新社)で「今訳しているところ」と村上春樹が言及していたアメリカの作家、グレイス・ペイリーの短編集『その日の後刻に』(文藝春秋)が出版された。

 この人の作品をどうして好きなのか、なぜ彼女の書いた三冊の短篇集をすべて僕が訳さなくてはならないのか(最後の一冊は今訳しているところ)、僕自身うまく説明することができない。でも彼女の小説世界の持つシンプルな力強さと、そのぶれることのない確かな視線と、往々にして型破りだけど、それでも実に的確な言葉の選び方に、どうしても心を惹かれてしまう。(『村上春樹翻訳ほとんど全仕事』)

グレイス・ペイリーは1922年、ニューヨーク・ブロンクス生まれ。59年『人生のちょっとした煩い』を発表。74年『最後の瞬間のすごく大きな変化』、そして85年『その日の後刻に』を発表し、2007年に亡くなっている。生涯に出版された小説はこの3冊の短編集だけ、という寡作な作家だ。サラ・ローレンス大学やコロンビア大学などでライティングを教え、2人の子の母である彼女がどんな人か、また作品の特徴について村上は翻訳家の柴田元幸との対談でこう説明している。

 ペイリーはブロンクス生まれの、ユダヤ系ロシア人二世で、両親は大陸から移民船に乗って来た人たちですよね。家庭内の言語も、英語とロシア語とイディッシュのちゃんぽんみたいなものです。ユダヤ教徒で、社会主義者で、インテリではあるけれど生活は貧しい、みたいなややこしい環境です。そういう特殊な背景をわりに忠実に描いた作品もありますが、ぜんぜんそうじゃない作品も同じくらいあります。リアリスティックなものと、寓話的なものがばらばらに混在している。中にはまったく冗談みたいなものもある。簡単には尻尾をつかませない、というと表現がよくないかもしれないけど、とにかくあっちに飛んだり、こっちに飛んだり、「なんでこんな話を書くわけ?」と戸惑ってしまうような作品が次々に出てきて、その変化にこちらの気持ちを調整していくのに時間がかかります。優れたストーリーテラーではあるんだけど、普通の話し方はしない。(『村上春樹翻訳ほとんど全仕事』)

さらに村上は「彼女の文章はナックルボールを投げるピッチャーのようだ。どこにボールが飛んでくるか、球筋がまったく見えないし、だからキャッチャーとしてもなかなか簡単にはミットに収めることができない。他にはちょっと見当たらない、まさにワン・アンド・オンリーの作家だと思う」と書き、「生半可な気持ちでは対処できない作家」と彼女の作品を翻訳する大変さも語っている。

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その言葉通り、『その日の後刻に』には一筋縄ではいかない17の短篇とエッセイ、そして貴重なロングインタビューが収録され、巻末には村上による解説「大骨から小骨までひとそろい」が収められている。

初めてグレイス・ペイリーの小説を読む人は、とてもよく手入れされたナイフで日常や不可思議な場面をスパッと切り取ったような内容と、独特の視点にとても戸惑うことと思う。村上は柴田との対談で「とにかくこの人の場合、いわゆるコンベンショナルな文章技法というのがなくて、出たとこ勝負というか、なんでここでこんなことを言うんだろう、なんでここでこういう場面が出てくるんだろうとか、わけがわからないところがいっぱいあります。翻訳者としても、作家=同業者としても、虚を衝かれる感じです」と言っている。

ペイリーの作品について「僕と共通するような部分はあまりないと思う」と村上本人は語っているが、村上の短篇『午後の最後の芝生』や『チーズ・ケーキのような形をした僕の貧乏』といった世界観が好きな人なら、読み込むたびに味わいが増すペイリーの物語世界を堪能できることだろう。

文=成田全(ナリタタモツ)