「わらしべ長者」が儲かったのは当たり前? 「浦島太郎」はバッドエンドではない? 経済学で見つめ直す昔話の教訓

社会

2017/10/18

『昔話の戦略的思考』(梶井厚志/日本経済新聞出版社)

 誰もが子どもの頃に親から読み聞かせてもらった昔話。その中には教訓がつまっており、楽しみながら人生の生き方を学んだ覚えがある。しかしその教訓は果たして本当に正しいのだろうか。実は別の見方ができるのではないだろうか。『昔話の戦略的思考』(梶井厚志/日本経済新聞出版社)は、京都大学経済研究所教授の梶井厚志氏が経済学の面から昔話を読み解き、その教訓を見つめ直したり、昔話のイメージを覆したりと、私たちの大切な思い出をハードに突き破っていく1冊だ。今回はその中でも「浦島太郎」と「わらしべ長者」について取り上げたい。

 昔話は各地方や出版社によって微妙にストーリーが変わってくるが、今回は本書に載せられている話をベースに進めていきたい。

■機会費用から幸不幸をとらえる「浦島太郎」

 浦島太郎と聞くと、亀を助けたお礼に3年間ほど竜宮城を楽しみ、故郷に戻ると人間界では300年が経過しており、玉手箱を開くと浦島太郎はよぼよぼのお爺さんになってしまった、というバッドエンドな終わり方を思い出す。この浦島太郎を経済学の観点から考察すると、どのような見解が得られるのだろうか。

 本書が着目しているのは、「浦島太郎が亀を助けた」ことに対する恩返しが「3年間も竜宮城で大宴会」という点だ。受けた恩に対し、そのお返しが盛大すぎる。これについて著者は「理屈の通らない都合の良すぎる話に対して、自分の業績や能力を過度に高く評価して自分を納得させ、自分を見失うことを戒めるものと解釈できるのではないか」と推察している。

 また、バッドエンドな雰囲気漂うこの終わり方、見方を変えれば浦島太郎は素晴らしい体験をしたのではないだろうか。まず、浦島太郎は300年後の世界を見ることができた。現実世界で考えると100年前の世界には、インターネットはおろかテレビさえもなかった。浦島太郎が見た300年後の世界は想像もできない景色が広がっていたに違いない。人間では絶対にできないことを体験したのだ。

 さらに竜宮城へ行ったことに対する「機会費用」についても考えなければならない。機会費用とは、あることがらの利益を正しく判断するために、それによってかえって実現不可能になったことを見出して考慮してみる経済学的手法だ。

 浦島太郎の身に現実に起こったことを抜き出すと、竜宮城で極上の宴会を3年間楽しみ、300年後の未来を見て、その後よぼよぼの爺さんになり、両親の死に目に会えなかった。それでは、もし浦島太郎が竜宮城へ行かなかったらどうなっていただろうか。この昔話の時代背景を察するに、浦島太郎は両親と毎日質素な生活をしていただろう。現代のように能力や機会があれば劇的に生活が変わるというわけでもない。現代にあふれる娯楽とは無縁のギリギリの生活を十年一日のごとく送り、贅沢とは何かを理解することなく一生を終えたかもしれないのだ。

 つまり「もし竜宮城へ行かなければ、様々な楽しみのある現代のような生活ができたであろう」と考えてしまうから、「亀を助けた後の余命をわずか数年にされ、挙句には両親の死に目にも会えなかった」という不幸な見方をしてしまうのだ。

 質素な生活のまま一生を終える。わずか数年の余命になり、両親の死に目にも会えないが、3年間一生味わえない娯楽を楽しむことができる。このどちらの機会費用が高いかは、読み手によって変わってくるに違いない。浦島太郎がバッドエンドかどうかは一様に語れない。

■儲かるべくして儲かった「わらしべ長者」

 本書の内容をもう少しご紹介しよう。特段の努力もせずに、ただ歩いて物を交換しただけで裕福になってしまった「わらしべ長者」。「うらやましい……」という感想がおもわずもれるこの昔話。本書にかかれば、この「楽して得た裕福」も得てしかるべき対価だそうだ。

 男が飛び回るアブをくくりつけたわらしべとみかんを交換したとき、当たり前ではあるが、わらしべを持っていたときより利益を得ている。もちろんそれは、わらしべを欲しがった子どもにも言えることで、みかんよりわらしべの方が、価値が高いから交換したのだ。わらしべ男だけが得をしたのではない。この話に登場するすべての人間が得していることを忘れてはならない。

 この話の登場人物の中でお互いにメリットがある交換を引き出すことができたのが、わらしべ男だけであり、人々を喜ばせる行動を実行し続けたので儲けるべくして儲けたのだ。

 著者によると、この他に見逃せない点が2つあるという。まず男はわらしべにアブをくくりつけておもちゃを創造するクリエイティブ性を見せた。当然これに対する対価は得るべきだ。もう1つは、男が死にそうな馬を引き取った点。これは「馬に慣れた武士が見放した馬」、つまり「ほぼ死ぬであろう」というリスクごと馬を買い取ったと言える。成功するかどうかわからないリスクの大きい事業に投資したも同然で、その利益は得てしかるべきだ。リスクを取ってなされた投資の利益を享受することと、労せずして富を得ることとは、雲泥の差がある。

 著者は本書で、わらしべ長者の中には経済学の基本がつまっており、親子でそれを味わいながら読んでほしいと絶賛している。これからわらしべ長者を読み聞かせようという親御さんは、ぜひもう一度読み直して深く考察した上で、お子さんに読み聞かせてあげてほしい。

文=いのうえゆきひろ