今後、川崎はどうなるのか? ヤクザか職人か捕まるかが脱出手段だった街の真実

社会

2018/3/24

『ルポ川崎』(磯部 涼/サイゾー)

 街に「潜入」したという見せ方のルポは近年もいろいろと出ているが、その実潜入というほど街に入り込んではおらず、通り一遍、通り過ぎるようにサラリと取材し、ウワサ話にすぎないものを膨らませ、あとは資料をさらって書いたようなものも多い。『ルポ川崎』(磯部 涼/サイゾー)はそのようなものとは一線を画す、迫真のルポルタージュである。

「潜入」する街は、川崎。

 それも北西から南東へと長く伸びる川崎市のうち、南東の臨海部、川崎区である。川崎駅のほか京浜工業地帯の中心地として工場を多く抱えるこのエリアは、労働者の街であった。彼らのための住居・ドヤ街や娯楽施設としてソープランド街、ちょんの間、競輪場などもある。また「川崎中一殺害事件」などショッキングな事件の報道もあったように、犯罪の発生も珍しくないエリアだ。一般的には「ガラの悪い」イメージはあるだろう。工業地帯の「おおひん地区」(桜本・大島・浜町・池上町)では、朝鮮半島から渡ってきた在日コリアンの人々が集住し、差別問題とも戦ってきた場所でもある。サラリと取材することなど到底できない街なのだ。

 これまでにもこの街を扱った記事は書かれてきたが、サラリと扱えないからだろう、イスラム国になぞらえ「川崎国」などと呼んで、なおさらその「ガラの悪さ」や、発生した事件の残虐性を強調したゴシップの域を出ないものも多かった。いやむしろそのグロテスクさこそを記事のキモに据えていたと言っていい。街にどんな人が暮らし、どんな問題を抱えているのかを、正面から丹念に取材したルポは皆無であった。

 本書では、著者が街を繰り返し訪れそれを探っていく。それも街の古い歴史を掘り下げていくというよりは、これから街を担っていく若者たちがどんな暮らしぶりをしているか、川崎の「今」を探っていく。鍵になるのは“ヒップホップ”だ。著者の磯部涼氏は音楽ライター。川崎区で結成されたグループ、BAD HOPへの取材から、街へと入っていく。メンバーのT-Pablow氏の言葉がこの街の若者の姿を象徴している。

「川崎のこのひどい環境から抜け出す手段は、これまで、ヤクザになるか、職人になるか、捕まるかしかなかった。そこにもうひとつ、ラッパーになるっていう選択肢をつくれたかな」

 名の通った不良であったメンバーたちの生い立ちが綴られ、彼らがおかれた状況がいかに壮絶なものであったかがわかる。他にも数々の元アウトローが登場するのだが、インタビュアーを前にしてのこともあっただろうが、実にあっさりとそれらを語っているように見える。もう一つだけ例をひく。第一回高校生ラップ選手権で決勝にまで残った経験のある鈴木大將氏と、従兄弟の格闘家・鈴木拓巳氏、中村辰吉氏のやりとり。アウトローの親戚に「指つめ」を手伝えと言われたときのシーンだ。

拓巳「『指を落としてくれ』って言われて、手伝ったこともありますよ。ノミとハンマーで。でも、切った指が飛んじゃうんですよ。パーン! って」
辰吉「そのとき、オレも一緒にいたんですけど、慌てましたね。『探せ探せ!』『あったあった!』『よかった~』みたいな」
拓巳「その指、まだ持っています。ホルマリンに漬けて」
大將「その人はもういないですけど」

 壮絶なシーンだが、すでに過去になったからか、深刻さのない軽い言い回しで話している(ように書かれている)。日常の中で少々変わったシーン、くらいのことだったのか。こんなふうに実に淡々とインタビューが続くが、読むほうはかえって凄みを感じるし、彼らがどんな環境におかれていたのかが、よく理解できる仕掛けになっている。

 そのほか、ゴーゴー・ダンサー、フォークシンガーにしてギャンブラーの老人など、癖の強い強烈なキャラクターの人物たちがこれでもかと登場する。読み進めながら、読者はこう期待を感じていないだろうか。「このあと、どんなセンセーショナルな事件や出来事が登場するだろう?」。冒頭で触れたゴシップ記事を読むときと同じ気持ちだ。

 だが途中で、著者は読む者に冷や水を浴びせてくる。「スラム・ツーリズムの下世話な視線」の項がそれだ。スラム・ツーリズムとは、裕福な白人観光客が発展途上国の貧民街(スラム)を訪れ、見物して帰ることをいう。言い換えれば、「貧しさを鑑賞する」のである。おおひん地区はじめ川崎区を訪れ、何かを見聞きしていくというのは、同じ側面を持っていないか? 著者はそう問うのである。それどころか、

「自分が『今日の取材ではどんなヤバいことが起こるのだろうか』と興奮していることに気づくのだ」

 と、著者自身にもその気持ちがあると、隠さずに言うのである。矛盾を抱えた取材であることを冷静に意識したうえで、それでも川崎の「今」を描く。それはなぜなのか? 一冊を読み通せばきっと見えてくるはずである。

 しかしこれだけ綿密に聞き取りを繰り返すのは、根気のいる地味で骨の折れる作業であったに違いない。評者も同業、読み進めながら最初は圧倒的な取材力に嫉妬したのだが、途中から脱帽した。ネットでいくらでも街のレポートが読める時代にあって、こんな正攻法の本格ルポが今出版されたことに、今では痛快ささえも、感じている。

文=フリート横田