心と体の殺人はどちらが重いの? 『Aではない君と』からいじめについて考える

文芸・カルチャー

2018/3/19

『友罪』(薬丸岳/集英社)

 2018年5月に映画版が公開予定の『友罪』(薬丸岳/集英社)は酒鬼薔薇事件をもとに描かれた、友情小説だ。そんな『友罪』の次にぜひ読んでみてほしいのが、本作『Aではない君と』(薬丸岳/講談社)だ。

 本作は、主人公・吉永圭一のもとに入った、1本の電話によって始まる。それは、ひとり息子である中学生の翼が同級生の友達を殺し、死体遺棄容疑で逮捕されたという衝撃的な事実だった。逮捕された翼は父親である吉永や弁護士が尋ねても、犯行の理由を語ろうとはしない。そこで吉永は自分の息子がどうして殺人を犯したのかを自分自身で知るため、弁護士の代わりに保護者が話を聞ける「付添人制度」を使い、息子の心を知ろうとするのだ。

■心の殺人と体の殺人はどちらが重いのか

 未成年の犯罪をテーマにした作品は、数多くある。その中でも本作は、贖罪をとことん突き詰めているのが特徴だ。犯罪は加害者にのみ、罰が与えられることが多い。もちろん、どんな理由があったにせよ、罪を犯すのは悪いことだ。

 しかし中には本作で殺された優斗のように、清廉潔白ではない被害者もいる。こうした悲痛な背景をうまく表現したのが本作に出てくる「心の殺人と体の殺人はどちらが重いの?」という翼の一言だ。

 翼は確かに、体の殺人を犯してしまった。しかし、体の殺人を行う前に翼の心は被害者の陰湿ないじめによって殺されていたのだ。現在の日本で、いじめを立証することは難しい。だからといって犯罪ではないのだろうか。

 いじめによって受けた心の傷は、人に言いにくい。そして、他人に気づいてもらえない傷は、なかなか癒えていかないものだ。そう考えれば、心を殺すいじめも立派な犯罪だといえるのではないだろうか。黙秘を貫いていた翼が口にした渾身の一言はいじめを受けたことがある読者だけでなく、いじめを行った経験がある人の心にも、強く響くことだろう。

■本作は親にとって反面教師に

 子どもは親の前では、いい子であろうとする。実際に、本作で被害者となった優斗も親の前では自身の凶暴性を隠し、いい子の仮面を被り続けていた。子どもには親に見せない顔があるため、親は「うちの子に限って、そんなことはない」と思ってしまいがちだ。子どもは大人が考えているよりも、はるかに賢くて大人である。だからこそ、多感な10代の心をリアルに描き出した本作は、親にとって反面教師としても映るはずだ。

 我が子が新しい環境の中へ入っていくと、親は自分の子どもが何を考えているのか分からなくなってしまうこともあるだろう。そんなときは、我が子にちゃんと愛しているというサインを送ることが大切だ。「どんな過ちを犯したとしても、ずっと愛している」ということや「罪を犯してしまっても生きてさえいれば、更生のチャンスはある」ということを我が子に伝えていければ、世の中ももっと優しいものになっていくのではないだろうか、と思える読後だった。

 いじめは、年齢問わず起こるものだ。新生活が始まり、新しい環境に慣れ始めると些細なことが原因で、いじめが起こってしまうことも多い。しかし、そんなときは本作で翼が口にした言葉を一度、思い出してみてほしい。罪には問われなくても、いじめは十分、人の命を奪えるほどの威力を持っているのだから。

文=古川諭香