向田邦子を知っていますか? 今読む理由がある、名作3選!

文芸・カルチャー

更新日:2018/4/11

(c)文藝春秋

 エネルギッシュに仕事に励み、おしゃれでグルメ、スポーツ万能。両親が結婚しろと言うのもはねつけて、青山に買ったマンションで、愛する猫たちと暮らす──そんな女性がいると言えば、「かっこいい人だね。友達?」という声が聞こえてきそうだ。しかしこの人物は、昭和4年生まれ、存命なら88歳。数々の名作を残した向田邦子の生きざまは、現代を生きる私たちにとっても、憧れや指針となりうる。彼女が売れっ子文筆家として花開くまでを追いながら、向田邦子という人がわかる3冊を紹介したい。

■食いしん坊だった少女時代を懐かしむエッセイ集『父の詫び状』

『父の詫び状』(文藝春秋)

 向田邦子初のエッセイ集『父の詫び状』(文藝春秋)は、読んだことがある人、タイトルを聞いたことがある人も多いだろう。エッセイの傑作と言われる本書は、邦子が「白い木綿糸を通した針で、黒くしめった地面を突くようにして桜の花びらを集め、腕輪や首飾りを作」っていた、少女時代の出来事を描き出す。収められた24篇の中では、タイトルのとおり、父の姿が印象的だ。

「わが家の遠足のお弁当は、海苔巻であった。
 遠足の朝、お天気を気にしながら起きると、茶の間ではお弁当作りが始まっている。一抱えもある大きな瀬戸の火鉢で、祖母が海苔をあぶっている。黒光りのする海苔を二枚重ねて丹念に火取っているそばで、母は巻き簾を広げ、前の晩のうちに煮ておいた干ぴょうを入れて太めの海苔巻を巻く。遠足にゆく子供は一人でも、海苔巻は七人家族の分を作るのでひと仕事なのである。」(「海苔巻の端っこ」)

 この海苔巻きの両端の切れっ端は、ご飯の量の割に、甘く煮つけた干ぴょうと、香ばしい海苔の量が多くて美味しい。ところが、これは父も大好物で、母は朝刊をひろげている父の前に置いてしまうため、結局邦子がありつける“端っこ”は、ほんの二切れか三切れ。少女の邦子は、「大人は何と理不尽なものかと思った」

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 味や香り、音とともに、目の前に昭和の家族の暮らしが立ち上がってくるようだ。それほど鮮やかな書きぶりながら、邦子の意識は、ブレることなく「生きている人間」という普遍的な題材に向けられている。だからこそ、語られていることは時を経ても古びず、深く共感できるものであり続ける。

■文筆家の鋭い目で“女”を突き詰めた小説集『隣りの女』

『隣りの女』(文藝春秋)

 学校を出た邦子は、勤めに出ながら、スキーへ行くためのお小遣い欲しさに脚本を書くうちに、テレビドラマ『寺内貫太郎一家』『阿修羅のごとく』などを執筆する人気脚本家になった。仕事も趣味も目いっぱい楽しむ充実の日々を送っていた邦子だが、乳がんの手術をきっかけに休養を余儀なくされ、その時期、テレビドラマ以外のものを書いてみないかという依頼を受ける。「こういう時にどんなものが描けるか、自分をためしてみたかった」(『父の詫び状』)と連載を引き受け、2冊のエッセイを刊行したあと、連作短編小説「思い出トランプ」の連載を開始。その年、「思い出トランプ」中の「花の名前」他2篇で直木賞を受賞した。

『思い出トランプ』(新潮社)は、日常に潜む人間の弱さやずるさ、それゆえの愛おしさを見つめた短編小説集だった。直木賞受賞後も、邦子は海外でのロケハンに同行するなど精力的に活動していたが、台湾旅行中の航空機事故で帰らぬ人となってしまう。絶筆となった短編を収録した小説集『隣りの女』(文藝春秋)で描かれるのは、ずばり“女”だ。

 たとえば、「春が来た」。華がなく、影も薄い直子は、片思いの経験しかないまま27歳になった。ところが、取引先の風見という青年と言葉を交わすようになり、恋人と呼んでもいい関係になる。2人でしゃれた喫茶店に入り、彼によく見られたい一心で、本当は町の小さな印刷屋の下請けをしている父親について「PR関係の仕事をしているの」と見栄を張ったのを皮切りに、母はお茶とお花の心得があり、自分が住む一戸建ての家の庭には、松、楓、八つ手に南天も植わっていると、ちょっと“盛り気味”に話してしまう。

 好もしく思っている男の前で、少しでも自分をよく見せたい。今も昔も変わらない、恋する乙女の心情だ。ところがその帰り道、風見は「家まで送ってゆく」と聞かず、家の前までタクシーで乗りつけてしまう。現実の直子の家ときたら、手洗いのそばにある南天は隣の家の庭のものだし、母親の須江は、浴衣地のアッパッパ(ワンピース型の夏服)の裾からシュミーズをのぞかせ、足が冷えるからと父親のソックスを履いている。もはやこの恋は終わった、と直子が絶望した家を、しかし風見は気に入って、週末ごとに遊びにくるようになった。直子の婿候補が現れたことで、家の中に春が来た。

「床の間の茶箱は消えて、安物の一輪差しに花があった。茶の間の電球が明るくなっていた。『風見さん、ひとりっ子なんですって』
 直子は、須江が、話しかけながら、黒い茶筒の底に顔をうつし、脂の浮いた小鼻のあたりを、指の腹でそっと押えているのに気がついた。
 母のこんなしぐさを見るのは初めてだった。
 浴衣地のアッパッパに変りはなかったが、髪は小ざっぱりとまとめられていたし、男物の靴下はなく素足だった。
『お母さん、足許がキヤキヤする(注・冷える)んじゃないの』
 というと、
『ビールひと口飲んだせいかしら。血の循環がよくなったみたいよ』
 こんな言葉遣いも、何年ぶりに聞くものだった。」

 表題作「隣りの女」に描かれた平凡な人妻の恋しかり、「幸福」「胡桃の部屋」に滲み出る嫁(い)き遅れた女の心情しかり。すべて自分のことのように実感を伴って読めるのは、みずからも女でありながら、女のいじらしい部分はもちろん、いやらしい部分からさえも目をそらすことなく描写する、邦子の文筆家としての目があるからだろう。あたたかさや包容力だけでなく、向田邦子という人の鋭さや厳しさ、凄みをも感じさせる一冊だ。

■もっと気に入る、なにかをさがして──最後のエッセイ集『夜中の薔薇』

『夜中の薔薇』(講談社)

 作品と生涯を振り返ると、向田邦子という人が、いかに才能と思いやり、知性と好奇心にあふれた女性であったかがよくわかる。だが邦子といえど、はじめからなにも考えずに素晴らしい作品を書けたわけでも、いつだって迷いなく背筋を伸ばして生きていたわけでもなかった。そのことを彼女自身が吐露しているようにも思えるのが、邦子にとって最後のエッセイ集となった『夜中の薔薇』(講談社)である。

 邦子は22歳のとき、ひと冬を手袋なしで過ごしたことがある(「手袋をさがす」)。気に入った手袋が見つからなかったからだ。当時の冬は暖房が行き届いておらず、人々はみな厚着の上にオーバーを着込み、手袋をはめていた。それなのに、「一体どんな手袋が欲しくてあんなやせ我慢をしていたのか全く思い出せないのがおかしいのですが、とにかく気に入らないものをはめるくらいなら、はめないほうが気持がいい、と考えていたようです」。

 そんなある日、邦子に目をかけていた上司が、残業にかこつけて湯気の立つ五目そばをふたつ取り、邦子に忠告してくれたという。「君のいまやっていることは、ひょっとしたら手袋だけの問題ではないかも知れないねえ」。邦子はハッとした。当時の職場や環境は恵まれていて、不平不満を言うのは贅沢というものだった。しかし邦子は、毎日が楽しくないと感じていた。もっとさがせば、もっといいものが手に入るのではないか。自分は何をしたいのか、何に向いているのか。このままでは、「今年の冬どころか来年の冬も、ずっと手袋をしないで過ごすことになる」。

 その帰り道、邦子は四谷の裏通りを歩きながら考える。

「夕餉の匂いにまじって赤ちゃんのなき声、ラジオの音、そしてお風呂を落としたのでしょうか、妙に人恋しい湯垢の匂いがどぶから立ちのぼってきました。こういう暮らしのどこが、なにが不満なのだ。十人並みの容貌と才能なら、それにふさわしく、ほどほどのところにつとめ、相手をえらび、上を見る代りに下と前を見て歩き出せば、私にもきっとほどほどの幸せはくるに違いないと思いました。そうすることが、長女である私の結婚を待っている両親にも親孝行というものです。」

 しかし、ここで妥協し、手ごろな手袋で我慢したところで、気に入らなければはめないのだ。不満を隠していかにも楽しそうに見せかけるなど、二重三重の嘘をつくことになる。

「花を活けてみると、枝を矯(た)めることがいかにむつかしいかよく判ります。折らないように細心の注意をはらい、長い時間かけて少しずつ枝の向きを直しても、ちょっと気をぬくと、そして時間がたつと、枝は、人間のおごりをあざ笑うように天然自然の枝ぶりにもどってしまうのです。よしんば、その枝ぶりが、あまり上等の美しい枝ぶりといえなくとも、人はその枝ぶりを活かして、それなりに生きてゆくほうが本当なのではないか、と思ったのです。」

 こうして邦子は、それまでの勤めを辞め、新聞の求人広告に応募して映画雑誌の編集記者となった。贅沢好きだと叱られようとも、ほどほどのもので我慢することもやめた。ラジオの原稿を書きはじめ、週刊誌のルポライターの仕事をし、眠る暇もなく働いて、最終的にはテレビドラマの作家になった。

 だが邦子は、手袋をさがした冬から20年あまりが過ぎたエッセイ執筆時にも、「今なお、これでよし、という満足はなく、もっとどこかに面白いことがあるんじゃないだろうか、私には、もっと別の、なにかがあるのではないだろうか、と、あきらめ悪くジタバタしている」。晩酌用のビール瓶の大きさに迷う小者な自分にがっかりし、地道な努力をしない自分を軽蔑し、貧しい才能を引け目に思い、言葉のおそろしさにおののく姿は、私たちとまるで同じだ。ところが邦子は、「いまだに『手袋をさがしている』」ことを財産だと思っている。だからこそ私たちは、彼女の著作に、「ありのままでいいのだ」と励まされ、背中を押されるのではないか。

 向田邦子は、生活という名の土地にどっしりと根を下ろし、美味しく豊かな栄養を貪欲に取り入れて、「生きる」という営みを、胸打つかたちで見せてくれる。ひたむきに咲く花は、いつの時代も美しい。それゆえに、向田邦子の生み出した作品、その中に香る邦子という“花”は、今もって鮮やかに私たちの胸に迫るのだ。

文=三田ゆき

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