給料3カ月分の水着も購入! 華やかに活躍した脚本家・向田邦子の素顔に隠された“古風な一面”とは?

文芸・カルチャー

更新日:2018/4/4

向田邦子の青春 写真とエッセイで綴る姉の素顔』(向田和子/文藝春秋)

『時間ですよ』や『阿修羅のごとく』など、後世にも大きな影響を与えたホームドラマを多く手掛けた脚本家の向田邦子。昭和を代表する彼女の全盛期を知る人々は、向田邦子氏に対してどのようなイメージを抱いているのだろうか。

「思い入れがある作品、というのはとくにないのですが、不思議と気になる作家ではあります。女性からの支持が厚く、おしゃれで美人、グルメといったイメージが強いです」(60代・男性)

「作家や脚本家など、華やかな仕事をしていたという印象があります。だからといって、現代でいう“キャリアウーマン”とは少し違う、個性的な方だと思います」(60代・女性)※筆者調べ

advertisement

 美人でおしゃれ、個性的、また、当時は少数派だった“生涯を仕事に捧げた女性”など、さまざまなイメージを持っているようす。そこで、氏の妹・向田和子さんの編著『向田邦子の青春 写真とエッセイで綴る姉の素顔』(文藝春秋)のコラムから、彼女の素顔に迫っていきたい。

■“結婚するなら仕事を捨てて家庭に入るのが当然”という古風な人

 妹の和子さんは、姉のことを「古風な人」と評している。華やかな世界で最先端の仕事に就き、活躍していた姿とは正反対に思えるが、こと結婚に関しては、見合いを断り続けるなど、昔気質な姉の強い意志を感じていたという。

「女性が仕事も家庭も、という時代ではなかった。姉も、両方とは考えていなかった。結婚するなら仕事を捨てて家庭に入るのが当然だと思っていた。思えば、ずいぶん古風なところもあった。
その頃は結婚せずに働き続ける女性は本当に少なかった。(中略)
まれに家庭と仕事とを両立できた人はいるが、よほど素晴らしいパートナーに出合えた人だけだ。仕事を持ち、家庭も一緒に築けるという人に出合える確率は低かった。仕事をするなら家庭はあきらめざるをえなかった」(「姉のお見合い」より)

 結婚=家庭に入ることが一般的だった当時は、仕事を選んだ時点で“生涯独身”を覚悟しなければならなかった。その時代にあって、向田氏が選んだのは、後者だったといえる。仕事と家庭の両立が一般的になっている現代で、彼女が20代を迎えていたならば、また違う選択をしていたのかもしれない。

■おしゃれ:着こなしのバランスを、いつも考えていた

(c)文藝春秋

 古風な人、という意外な一面があるなか“おしゃれ”に関しては、冒頭のコメントに近い部分があったようだ。とくに、人々の普段着が着物から洋服へと移行しはじめていた戦後、彼女の洋服のセンスには目を見張るものがあったという。ときに、給料3カ月分を注ぎ込んで、ジャンセン(JANTZEN)の黒エラスティックの水着を買ったこともあった。

「その頃、多くの女性たちの洋服の着方が、ちぐはぐだったような記憶がある。
姉は洋服の着こなし方をよく知っていた。着こなしのバランスというのを、いつも考えていた。だから、私がセーターの襟元から白いシャツの襟を出して着ていると、姉はぱっと見て、『その白い襟の出ている部分、もっと少なくした方がいい』などと指摘した。色の組み合わせ、色や生地のバランス、袖やスカートの丈。そういったものを厳しく決めていた」(「映画からおしゃれを盗んだ」より)

 また、彼女は洋服を仕立てるのがうまく、妹たちのためにコートをしつらえ、彼女が作ったセーラー服は“格好がいい”ということで、友だちから注文が入るほど好評だったそう。このように、ファッションにまつわる向田氏の逸話は、数多く残されているのだ。

 たしかに、現在残っている写真に写る向田氏の姿は、どれも洗練され、古さを感じない。流行に左右されず“自分に合った着こなし”を熟知しているからこそ、多くの人に「おしゃれな女性」というイメージを与えることになったのかもしれない。

 妹という視点で向田邦子をひもといた同書では、彼女のさまざまな素顔を垣間見ることができる。そこに綴られていたのは、彼女が持つユーモアや快活さ、頭の回転の速さなど魅力あふれる姿だった。「向田邦子の素顔」を知ったうえで、もう一度向田作品に触れることができれば、また新たな発見があるかもしれない。

文=真島加代(清談社)

女の子が生きていくときに読みたい、向田邦子傑作3選! 人生は“手袋探し”のようなもの?