「自分は存在していない」と思い込むコタール症候群って?

暮らし

2018/5/19

『私はすでに死んでいる ゆがんだ〈自己〉を生みだす脳』(アニル・アナンサスワーミー:著、藤井留美:訳/紀伊國屋書店)

 例えば、自分の体の一部を異物だと思い込む症状があると聞いたら、どう思うだろうか。まず、どんな感覚なのか想像することからして難しいはずだ。この自分の体の一部を異物だと思う症状は身体完全同一性障がい(BIID)という。近いところで性同一性障がい(GID)というものがある。性同一性障がいとは、自分の体の性と自分が自覚している性が一致していない状態を指すのだが、BIIDの場合はこれが体で起きているのだ。すなわち体の性と心の性が一致していないように、体の状態と心で思う「自分の体」のイメージが一致していないのである。例えば「現実には腕が二本あるが、本当は一本しかないのが本来の自分の体だ」と当人が認識している状態をしてBIIDとするのだ。このような不思議な症状について『私はすでに死んでいる ゆがんだ〈自己〉を生みだす脳』(アニル・アナンサスワーミー:著、藤井留美:訳/紀伊國屋書店)はいくつも紹介している。

 コタール症候群と呼ばれている状態がある。これは「自分の脳は死んでいる。しかし精神は生きている」と思い込む状態だ。意味がよくわからないかもしれないが、当事者はまさにこう表現するしかない状態に陥っているのだ。また、本書で紹介されているコタール症候群の当事者の場合、食欲や睡眠欲といった生理的欲求さえも欠落してしまっているというのだから、もはやそれは常人には想像すら及ばない世界であろう。このコタール症候群を日本語で表現するなら、それは虚無妄想という言葉を使うことになる。虚無妄想とは、有り体にいえば「自分の中身は虚無である」と妄想つまり思い込むことだ。やはり感覚的にはわかりづらいだろう。実際にこの虚無妄想であるとされた当事者は「自分には脳も神経も上半身も存在せず、また内臓もない皮と骨だけの存在」と認識していたという。この当事者は「自分には内臓がないのだから食事も必要ない」と考え、かつ生きたまま焼かれることを願って何度も自殺未遂を繰り返したそうだ。

 これらの症状を簡潔にまとめるなら「“自分(もしくは自分を構成するモノ)”が存在していないという妄想」ということになる。少し哲学などをかじった人なら「“自分”が存在していないのなら、その“自分”が存在していないと考えている“あなた”は誰なんだ」と問いたくなることだろう。しかし、その問いの答えは残念ながらまだない。その問いの答えを探るには、人間の自己とは何かを最初に問わなければならないうえ、さらに「客観的自己」と「主観的自己」にも分ける必要もある。ここまでくると素人にはお手上げだ。哲学者の皆様に頼むしかない。しかし、事は精神医学や神経科学も無関係ではないのだ。何しろ、実際にコタール症候群によって自殺未遂まで起こしている人間までいるのである。未発見の治療法があるのならば、何としても見つけたいところだ。本書では、コタール症候群のような「自己認識のゆがみ」ともいうべき症状に対して、以下のように述べている。

こうした精神疾患は、自己という建物の正面にできたひび割れのようなもの。そこからのぞけば、(中略)休むことなく行われている神経活動を探ることができる。

 つまり、コタール症候群のような例は、治療の対象というだけでなく人間の自己の謎を解くきっかけか、せめてのぞき窓になりはしないか、ということだ。本書では、この場で紹介した身体完全同一性障がいとコタール症候群のほかにも、アルツハイマー型認知症、統合失調症、離人症、自閉症スペクトラム障がいなど、いずれも自己のあり方、自己認識の仕方が大多数の人と「ずれ」、もしくは「ゆがんで」いる人達の話が紹介されている。「自己とは何者なのか?」そんな哲学的問いを追い求めるなら、こういった人達の話は非常に興味深いものとなるだろう。

 ところで、現実に生活を困難にしている面もあるのだから、身体完全同一性障がいやコタール症候群などの例はやはり病と呼ぶべき面もあるだろう。だが、果たしてこれらを「病」、すなわちただの異常としてあっさり切り捨ててしまっていいものだろうか。人間の自己というのは、限りなく強靭で限りなく脆いと本書冒頭で述べられている。自分は自分である、我々が何の疑いもなく「ある」と思い込めているのが自己という存在だ。その思い込みを失った状態をこそ病というのであれば、案外それは誰にでも起きうるものなのかもしれない。

文=柚兎