「ラブ・ストーリーは突然に」「さよなら」…小田和正が語った、大ヒット曲誕生秘話

エンタメ

2018/9/24

『「100年インタビュー」保存版 時は待ってくれない』(小田和正/PHP研究所)

 一流のアーティストやクリエイターは、意外に寡黙であることが多い。自らの考えや生き様は作品で表現しているため、インタビューなどで繰り返し語る必然性がないからだ。ミュージシャンの小田和正さんも、どちらかというと「インタビュアー泣かせ」だといえるだろう。

 それだけに、NHK『100年インタビュー』に出演し、ロング・インタビューに応じたのは貴重だった。そして、番組内容は『「100年インタビュー」保存版 時は待ってくれない』(PHP研究所)で書籍化されている。音楽で自らを伝えてきた小田さんが、あえて語りを選んだ理由とは何だったのか。70歳を超えて、今もなお最前線で活躍している小田さんの言葉は、「年齢を重ねる」意味について考えさせてくれる。

 1947年、神奈川県横浜市で生まれた小田さんは、キリスト教系の小学校で賛美歌を歌わされたことをきっかけにして「歌」や「音楽」にのめりこんでいく。高校時代には伝説のバンド「オフコース」を結成することになるメンバーたちと学園祭のステージに立ち、大好評を得る。何しろ、あまりにも盛り上がったので先生から「もう一度歌え」と「命令」されたくらいだ。

 そのまま、音楽コンテストを経て小田さんはオフコースのボーカルとしてデビューする。しかし、順調に見えたキャリアもやがて曇り始める。オフコースはヒット曲を生み出せず、初期メンバーは脱退し、小田さん自身も学業と音楽の狭間で悩んでいた。変化の兆しは、1970年後半だ。オフコースが5人体制になり、ロックバンド的な音楽性に移行してからシングル「さよなら」が大ヒット。以後、1989年に解散するまでオフコースは絶大な人気を集め続ける。

 それでも、小田さんの言葉には成功へのおごりがない。意図してヒット寄りに作った「さよなら」の後で、メッセージ性の強い「生まれ来る子供たちのために」をリリースするなど、「伝えたいことを表現する」という根本は変わらなかったのだ。ソロになってからすぐ「ラブ・ストーリーは突然に」の大ヒットがあったときもスタッフと「まぐれ当たりみたいなもん」と話していたという。その地に足がついた感覚には驚かされる。

 小田さんの生い立ちと音楽の関係も面白い。小田さんの書く歌詞には「風」「空」という単語が数多く登場するが、原点は高校時代、野球部で練習していたグラウンドだった。

いま見てる空が美しいっていうのもあるんだろうけど、前にもこういう空を見たんだろうなって思うんだろうね。あの日と同じようだけど、あの日といまは違うんだって、そういうことを考えるタイプなんだよ。

 また、大学・大学院時代に学んだ建築学は作曲術にも影響を与えている。小田さんは建築の図面を描くとき、おおまかなレイアウトを決めてから徐々に細かく調整をしていくようにしていた。「ラブ・ストーリーは突然に」などのヒット曲もAメロ、Bメロ、サビと順番に書かれたのではなく、先に全体図があって最後に細部を決めていったのだという。小田さんのソングライティングの源を知るために、本書はたいへん参考になるだろう。

 小田さんの年齢にともなう心境の変化も語られる。オフコース時代はクールなイメージもあったが、1994年、テレビ番組の企画で青木功さんのキャディーを務めてからは「自分をさらけだす」ことの重要性を学んだ。青木さんに叱られる姿を日本中が面白がってくれたからだ。そして、1998年の交通事故があってからは、ファンとの距離感にも気を配っている。コンサート会場に花道を作ったり、映像集「ご当地紀行」でファンと交流したりするようになったのだ。

 小田さんの音楽が今も世代を超えて愛され続けているのは、彼が年齢に抗うことなく、自然体で人生を受け入れてきたからだろう。タイトル「時は待ってくれない」には「でも、がんばろうと思っている人には、時は待ってくれる」という逆説がこめられているという。「時間がないから焦らなくては」ともがくのではなく、目の前の自分を大切にすることが、小田和正流の生き方なのだ。

文=石塚就一