「こんな子じゃなかったらよかった」自閉症の息子を愛せるようになるまでの17年間の軌跡

出産・子育て

2018/11/14

『発達障害に生まれて』(松永正訓/中央公論新社)

 我が子が生まれてくるとき、親ならば誰もがこう願う。「五体満足で健康な赤ちゃんが生まれてほしい」。これを“パーフェクトベビー願望”という。しかし、もし我が子が発達障害と判明したとき、大切に育てる覚悟を持てるだろうか。一生懸命愛情を注げるだろうか。

『発達障害に生まれて』(松永正訓/中央公論新社)は、自閉症児を授かった母親が何度も現実に打ちのめされながら、それでも愛する息子を必死に育て上げた17年間の軌跡を記した、渾身のルポルタージュだ。

■こんな子じゃなかったらよかった!

 2000年の秋、勇太くん(仮名)は生まれた。母親は幼児教育に関する職に就いていたので、勇太くんに英才教育を施した。生後3か月から毎日10冊の絵本を読み聞かせ、漢字や算数の教材のカードを見せた。なにより毎日抱っこして愛情をたっぷり注いだ。立派な子どもに育ってほしかった。

 しかし母親の期待は見事に裏切られた。見知らぬ人に抱き上げられても泣かない。母親がどんなに愛情をもって抱きしめても抱き返してこない。まるで人の存在を無視しているかのようだった。2歳になった頃、不思議な光景を目にする。公園に杖を持った老人が座っていた。その目の前には犬がいた。杖に興味を持った勇太くんは、ずんずん歩いていき、なんと目の前にいた犬を踏みつけて、杖に向かっていったのだ。

 なにより勇太くんはしゃべらなかった。2歳を過ぎても喃語さえ出ない。勇太くんは食物アレルギーを持っていたので、度々病院に通っていた。その診察のとき、勇太くんが言葉を発しないことを相談すると、先生がその病院の「こころの診療部」の予約をとってくれた。そしてその診療部でこう言われた。「お子さんは自閉症ですね」。

 診断後、自暴自棄になった母親は看護師に向かってこう叫ぶ。

「こんな子じゃなかったらよかった!この子をちっとも可愛いと思えない。食物アレルギーで大変なのに、なぜ自閉症と言われなければいけないの!」

 本書を読むと胸がぎゅっとしめつけられる。世界で一番可愛くて大切で、立派に成長してほしい息子が、他人に関心を持てず、社会生活で困難を強いられる自閉症として生まれた。その悲しさと不安と、行き場のない怒り。現実を受け入れられなくて思わず出たこの言葉に、母親のはりさけそうな思いを感じる。

■無理心中さえ考えた

 自閉症の特徴の1つに、多動がある。外出時に突然奇声を発したり、走りだしたり。その度に母親は周りから白い目で見られた。家の中ではずっとソファやベッドで飛び跳ねている。ドスン、ドスン。そのせいで階下の住人から繰り返し苦情がきた。そのうち「静かにしろ!」という貼り紙に変わった。母子はやむを得ず引っ越しを迫られた。

 また、勇太くんは気に入らないことがあるとよくパニックになった。大声で奇声を発し、腕を振り回し、手あたり次第物を投げ、壁や床に頭を打ちつけて自傷した。これが10分20分と続き、母親は疲弊した。ときに感情的になって勇太くんを叩く。他人の心を理解できない勇太くんは、叩かれた意味が分からず余計にパニックになる。だからまた叩く。もはや虐待と言われても仕方がなかった。

 この他にも、定型発達の子どもと息子を比べて落ち込んだり、周りの人々の無理解に苦しんだり、孤独と苦悩に押しつぶされそうになる日々が続く。母親は軽いうつ状態になり、無理心中さえ考えたこともあった。

 本書を読み進めると、これが発達障害を抱えた親たちの現実なのか、と思い知らされる。街でこういった子どもたちを見かけるときがある。しかし一度もその親の顔をしっかり見たことがなかった。彼らはどんな思いで子どもと一緒にいるのだろう。自身の無理解に、それを自覚していなかった事実に、身をつまされる。

■発達障害を抱えてもきっと“普通”がある

 しかし本書に記されているのはこれだけじゃない。母親がゆっくりと自閉症を、勇太くんを受け入れ始め、そして深い愛情を注ぎ始める。その変わりゆく姿が本書から手にとるように伝わるのだ。おそらくここからが本当に伝えたい内容のはずだ。

 発達障害を抱える子どもにとって“普通”という概念はない。社会に合わせるという感覚もない。だから彼らの親はいつも苦労を抱える。泣き叫んで子育てを投げ出したくなる。それでも共に人生を歩めば、子どもたちの成長を感じる瞬間がある。やがて愛情が芽生え始める。そこには、障害も何も関係ない、“子育ての喜び”という普通がある。

 母親は勇太くんに「お母さん」と呼ばれる日を心待ちにしていた。しゃべらない勇太くんに何とかして言葉を発してもらおうと様々試みたが、ずっと空振りだった。しかしある日、母親は気持ちが舞い上がることになる。5歳のときだ。お出かけで讃岐うどんの店に入った。食事が終わりかけて店員さんが勇太くんのお皿を下げようとした。そのときだ。「まだ食べる!」。勇太くんは生まれて初めて言葉を発した。

嬉しいを通り越して、母は気持ちが舞い上がってしまった。最初の言葉は「お母さん」ではなかった。(中略)しかしそんなことはどうでもいい。いきなり2語文を喋ったことが母の心を揺さぶった。

 たったこれだけのこと。でも母親は心底嬉しかった。形は違えど、子育てをする母親の喜びを知った瞬間だった。たとえ生まれる前に望んだ子どもじゃなくても、少しずつ苦難を乗り越えて2人は家族になっていく。

■やっぱり、勇太は勇太のままでいいなと

 勇太くんは17歳になった。もしかすると本書の情報が古くて18歳になったかもしれない。今でも気に入らないことがあるとパニックになる。物に当たり暴言を吐く。街で泣きわめくこともある。それでも母親は、今では勇太くんを心から可愛いと思えるそうだ。それはきっと、壮絶で苦しい子育てを経験しながらも、勇太くんを愛してしまう瞬間に何度も出会ったからだろう。障害の世界には必ず問われる質問がある。

「この実を食べたら健常者になれるけど、あなたは食べますか?」

 この問いに母親はこう答えている。

勇太は知的障害を伴う自閉症だ。自閉症でなくなったら勇太ではなくなる。やっぱり、勇太は勇太のままでいいなと。

 母親には最大の願いがある。それは、勇太くんが人生最後の日を迎えるとき、「ぼくの人生、幸せだった」とつぶやいて天国に行くことだ。本書を読む限り、この母子はきっとどこへでも行けるだろう。

 発達障害というワードが一般的になって、多くの親たちが、我が子が発達障害かどうか気にするようになった。このルポルタージュを書き上げた著者であり小児科外科医の松永正訓先生によると、10人に1人は発達障害という報告があるそうだ。多くの医師が、発達障害を抱える子どもの数が増えている認識を持っているという。

 もし我が子が発達障害を抱えていたとき、その子育てに苦しんだとき、この母子の軌跡を読んでほしい。親子が幸せに暮らすヒントが絶対に隠されているはずだ。

 勇太くんと母親は今日も幸せに暮らしているだろう。そしてそれは明日からも変わらない。彼らは世間一般の“普通”ではないかもしれない。けれども幸せに暮らしている点では、どの家庭にも負けない“普通”だ。

文=いのうえゆきひろ