岡田准一主演の新『白い巨塔』のラストはどうなる? 山崎豊子作品の魅力的な“悪い男”たち

文芸・カルチャー

2019/1/6

『山崎豊子と〈男〉たち』(大澤真幸/新潮社)

 2019年、山崎豊子原作の『白い巨塔』が、岡田准一主演で再びテレビドラマ化される。同作が映像化されるのは、映画版や韓国版も合わせれば、これで7回目だ。他にも、『華麗なる一族』や『不毛地帯』、『大地の子』など彼女の小説の多数が映像化されており、何度も映像化されているものも多い。

 これほど山崎作品が映像化されているのは、彼女が時代を越えた人気を誇る国民的作家だからだろう。山崎豊子は女性作家としては珍しく、根強い男性ファンも多い。骨太の物語性に加え、他の女性作家の作品ではあまり見られない、男があこがれる「男らしい男」が登場するのが男性人気の理由だろう。

 では、山崎豊子が描いた男とはどのようなもので、それがなぜ男性の心をつかんできたのかという謎に迫る評論が、『山崎豊子と〈男〉たち』(大澤真幸/新潮社)だ。気鋭の社会学者である著者の大澤真幸は、『三島由紀夫 ふたつの謎』(集英社)など、作家やその文学作品を社会学的に読み解く著書も多い。

■山崎作品で描かれる“悪い男”が魅力的な理由

「男らしさ」とはなにか? 著者は、ドイツの哲学者カントを引きながら、「自己の利益や幸福を無視して自分が定めた目的を義務として遂行すること」と定義している。これを、カントの哲学用語では「定言命法」という。ただ、本来「定言命法」とは「善」の定義である。

 ところが、山崎の前期の代表作である『白い巨塔』や『華麗なる一族』に出てくる「男らしい男」たちは、しばしば「悪」として描かれている。『白い巨塔』の主人公である財前五郎は、患者の命を軽視しながら医学部教授職や出世に執着し、『華麗なる一族』の主人公である万俵大介は「妻妾同衾(さいしょうどうきん)」という欲にまみれた異常な私生活を送り、家族を踏みにじりながらビジネスでは財閥の拡大に執念を燃やしている。

 いっけん、彼らは自己の利益や幸福を追求しているだけのようにも見える。しかし、じつは利益や幸福以上のものを求め、己に課した目的を義務のように遂行している「男」たちなのだ。そのような、打算や保身抜きで自他のあらゆるものを犠牲にしながら目的に向かって一直線に突き進む姿勢が、周囲からすれば「善」ではなく「悪」と映るのも当然だろう。だが、だからこそ魅力的でリアリティのある「男らしい男」となり、本当はそう生きたいと望んでいる男性読者の心をつかむのだ。

■“悪い男”の定義は時代によって変化する?

 本書の後半では、『不毛地帯』以降の山崎作品を取り上げ、カントのいう本来の意味での「定言命法」に従って「善」を体現する「男らしい男」たちを、日本人の敗戦意識と結びつけて分析している。しかし、それら後期作品における「男」たちが、財前五郎や万俵大介ほど魅力的でリアリティのある「男」として描かれていると感じるかは読者しだいだろう。

 ところで、平成に入ってリメイクされた『白い巨塔』と『華麗なる一族』では、原作や過去の映像化作品とは大きく異なる改変がなされていた。それは、「善」側の登場人物の比重が大きくなっていたことだ。このことについて著者は、「悪」が勝つ物語を視聴者が受け入れなくなったからだろうと推測している。だが、この改変によって原作のもつ過剰なまでの求心力が著しく減じてしまった感は否めない。はたして、今度の『白い巨塔』がどうなるか、非常に興味深い。

文=奈落一騎/バーネット