【直木賞候補作】本能寺の変はなぜ起きたのか――信長の生涯を斬新な解釈で読み解く『信長の原理』

文芸・カルチャー

2019/1/14

『信長の原理』(垣根涼介/KADOKAWA)

 天下統一を目前に劇的な最期を迎えた戦国武将・織田信長。その生涯はこれまで数多のフィクションで描かれてきたが、垣根涼介氏は斬新な視点から織田信長という人物をとらえ直した。第160回直木賞候補にもなった『信長の原理』(KADOKAWA)だ。

 物語は少年時代の信長がアリの行列をじっと見つめているところから始まる。幼き日の信長はアリの観察を続けていくうちに、一所懸命に働くアリは全体の2割ほどで、6割はその働き者のアリに釣られて漫然と働き、残りの2割はほとんど働かずに怠けていることに気づく。そして、自分の家臣の働きぶりから、この“二・六・二”の法則が人間の組織にも通じることを悟った信長は、これを人材の登用、抜擢に応用することで、完璧に機能する組織を構築しようとしていく。

 信長が発見した原理は、イタリアの経済学者ヴィルフレド・パレートが提唱した“パレートの法則”だ。このさまざまな集団活動に当てはまる現象を織田信長がいち早く発見していたという大胆な設定が、この物語を貫く縦糸になっている。

 神仏を信じず、世間の物差しにとらわれず、世の根本を疑い、常に怜悧な思考によってものごとの理を突き詰めていこうとする信長。そんな信長にとっては、人間もまたアリと変わらない存在だ。懸命に働く優秀な人間であれば、その出自や経歴にかかわらず積極的に取り立てていき、落ちこぼれた者は無慈悲に切り捨てていく。完全な能力主義、成果主義を取り入れることによって織田家臣団は最強の組織となり、天下統一の目前にまで勢力を拡大する。一方で、そんな信長の計り知れない行動原理に家臣たちは魅了されつつ、翻弄される。家臣同士での過酷な競争といつ自分が切り捨てられるのかという恐怖に常にさらされることで、弱い者から順に疲弊し、壊れていくのだ。

 本作は歴史小説でありながら、その醍醐味ともいえる合戦描写にページを割くのではなく、織田信長の組織論、人事論にフォーカスを当てて、織田家臣団の発展と崩壊を描いていく。そこに競争原理の中で生きざるを得ない現代社会のシビアな一面に相通ずるところを見る読者も多いだろう。自分の革新的で合理的なビジョンが誰にも理解されず、孤独の中で采配をふるってひたすらに勝つことを求めるトップ。そんな強権的なカリスマに怯えながら振り回される優秀な部下たち。その様子はまるで、急成長を遂げて世界的シェアを手にしようとするベンチャー企業のよう。そして、組織の利害を優先する徹底した効率主義者の信長にとって、人の心情の機微なんていうものは、なんの価値も見出せないから、それを重んじることもない。しかし、人は効率と合理性だけで動くものでもない。信長は自らが発見した法則によって誰よりも力を持つ人間となるが、その法則によって自らの死を招く。明智光秀がなぜ信長を裏切ることになったのか、物語の終盤で描かれる“本能寺の変”に至るまでの光秀の心情の揺れ動きは実にスリリング。

 誰もがよく見知っているはずの織田信長の生涯を新たな視点で読み解き、本能寺の変はなぜ起きたのかという歴史上の謎に論理的でエンターテインメント性に満ちた“仮説”を打ち立てる見事な歴史小説だ。

文=橋富政彦