5歳。あの頃の私は、不潔な世界から私を守っていた。能町みね子が世に送り出す私小説

文芸・カルチャー

2019/1/17

『私以外みんな不潔』(能町みね子/幻冬舎)

 エッセイスト・イラストレーターの能町みね子氏は、1979年北海道生まれの茨城県育ち。2006年にイラストエッセイ『オカマだけどOLやってます。』でデビュー。作家業だけでなく、ラジオやテレビでも活躍している。

『私以外みんな不潔』(幻冬舎)はそんな彼女の私小説。「私」こと「もりなつき」はお絵描きが大好きな5歳の男の子。ある夏の日、札幌から遠く離れた県に引っ越してきた。まもなく、新しい幼稚園に転入。大人の思惑を汲み取ったり、同級生との違いを感じたりしながら3月の卒園式まで過ごしていく。

「私」は、部屋でひとりお絵描きをして過ごすのが大好きだ。熱心に取り組んでいるのが、ぬいぐるみのペンギンを描いた漫画『ペンちゃん』。大量の空白のページをどんどん埋めていく。物語の後のページには登場人物紹介や著者近影、発行年月日を付けて楽しむ。

「私」が戸惑ったのは幼稚園での生活。ただでさえ転入生で肩身が狭いのに、大人びたおとなしい性格をしていて、昼休みをいつも持て余してしまう。そのため、壁に貼ってある座席表をひとり眺めてやり過ごす。いじわるで、うるさくて、不潔な同級生たち。頭が良くて、センスがあって、子どもっぽさを封印している「私」。幼稚園までの道のりは、毎日憂鬱だ。一方で帰り道は解放感に溢れている。

 印象的なのは「私」が世の中に対して持つ「質感」である。バス停の数字、地名の音のひびき、看板の色、道の空気感、人の顔のつくり。子どもの頃は、それらが各々性格や意思を持っているような気がして、目に入る「モノ」の音やにおい、手触りを楽しんだように思う。そこには確かに自分の世界があった。

 子どもは、何も考えずに楽しんでいることもあれば、わざと子どもらしい態度を取ることもある。それは大人の描く「子ども像」に合わせてだ。大人も、そういうときがある。子どもに接するとき、「大人像」というものが存在する。

 5歳の「私」はそれらを見抜き、ときに居心地の悪さを感じる。けれど、自身も「フリ」をしないわけでもない。大人っぽくクールなふりもすれば、子どもっぽくしおらしいフリもする。人目がないときは、思わずはしゃぐこともある。

「私」はいろんなことが得意だけれど、時にどうしようもなく「子ども」だ。事実、5歳であり、5歳なりに“ある”問題を抱えている。「トイレ」の問題だ。5歳なのに自分のトイレ事情が穏やかではないのだ。「私」はそれが、まるで赤ちゃんのようだと思う。これくらいの子どもが「赤ちゃんみたい」と人に言われるのはおそろしいだろう。屈辱である。特に「私」の場合、周囲の子どもたちより優れているところが多いはずなのに、赤ちゃんっぽさがバレてはとんでもない。

 幼稚園時代というものは大人からすれば短いものだが、当事者の子どもにとっては長いものだ。長く、楽しく、悲しく、人生の特殊なある時期の、修行のときなのである。

 カバーや本体にちりばめられている絵は、能町氏本人が幼少期に描いたイラストだ。またそのときに撮られた自身の写真も掲載されている。どちらも、可愛らしい。作家などマルチに活動するジェーン・スー氏は、帯の推薦文で「早熟で非凡だからこそ自分を持て余す主人公を、思わずぎゅっと抱きしめたくなることたびたびでした」と言いながらも、「ま、体を硬直させ全力で拒絶してくるだろうけど」としている。たしかに、「私」や、あるいはあのとき「私」だった我々の気持ちを思いはかれば、大げさでない大人、な態度がちょうどいいのかもしれない。

文=ジョセート