背中の子をもぎ離し波に捨てよう――歴史が語る、災害の記録と哀れな老人のドラマ

社会

2019/1/19

『天災から日本史を読みなおす』(磯田道史/中央公論新社)

 2018年は災害に見舞われた年だった。地震や豪雨、豪雪、酷暑。様々な災害を乗り越えて2019年を迎えた。年が変わっても去年の記憶を忘れてはいけない。過去の教訓が未来を救う知恵になる。

 教訓という意味では、日本史を読み解くといいかもしれない。日本史は過去の偉人の功績を教えてくれるばかりではなく、日本で起きた天災も克明に記す。

『天災から日本史を読みなおす』(磯田道史/中央公論新社)は、国際日本文化研究センター准教授の磯田道史先生が、日本史に刻まれた天災の数々を解説する1冊だ。古文書の記録には災害を乗り越える知恵が隠されている。それと同時に、目をそむけたくなるような悲しい体験も刻まれている。

 実に読み応えのある本書のうちから、2つだけご紹介したい。

■私たちは南海トラフ地震まで約20年の猶予が与えられている?

 日本は、経済的な先行きが不安視される一方で、同時に物理的な不安が立ちはだかっている。南海トラフ地震だ。日本最大の危機と表現しても問題ないかもしれない。

 政府の中央防災会議が被害想定をはじき出したところ、被害を「最大」で想定した場合、32万人が犠牲になり、220兆円を超える経済被害が出るそうだ。これは東日本大震災の比ではない。しかもこの想定の恐ろしいところは、すべての原発が地震による連鎖事故を防げるという“甘い”前提で計算されている。東日本大震災の原発事故を鑑みると、この恐ろしい数字では済まないかもしれない。

 南海トラフ地震で判明していることは、4つある。

(1)南海トラフ地震は約100年の周期で発生。
(2)同時もしくは数年以内に遠州灘から四国沖まで連動するのが普通である。
(3)古文書の記録によれば90年間より短い周期で二回起きたことは歴史上確認できない。
(4)歴史記録のしっかりしている南北朝時代以降で観察すると150年の間におきなかったことは一度もない。

 南海トラフ地震の発生は、1946年に起きた昭和南海地震が最後だ。あれから70年以上が過ぎた。政府は南海トラフ地震の発生率を「30年以内に70~80%」に引き上げている。古文書を信じるならば、私たちには約20年の猶予が与えられているが、相手は地球だ。2018年は何度も大きな地震が起きた。あまり信用すべきでないかもしれない。

 また、大きな地震が起きたとき、津波にも気をつける必要がある。歴史を振り返れば、南海トラフ地震は「巨大地震」と「超巨大地震」の両者に分けることができ、恐ろしくも気になるところは「超巨大地震」が発生した場合、津波の高さがどれだけかということだ。

 ここで取り上げたいのが、伊豆半島にいた僧侶「願栄」が木の板に記した古文書。彼は、慶長9年の暮れ(1605年2月)、南海トラフ巨大地震によって起きた津波の被害を克明に記している。磯田先生の現代語訳をご紹介したい。

「戊午(1498)年の津波は寺川の大堰まで。またその後九九年して甲辰(1605)年十二月十六日には垣の内の横縄手まで(津波が)入った。末世にその心得がありますように」

 これは願栄が、1498年の明応津波と1605年の慶長津波を比べて、浸水がどれだけ凄まじかったか後世のために書き残したものだ。これを踏まえて幕末明治に萩原正平という国学者が現地踏査したところ、慶長津波より明応津波の方が規模が大きく、その高さは10メートルを超えたという。内陸2キロが浸水したのだ。超巨大地震が起きると、十数メートルの津波は覚悟しなければならない。

 さらに磯田先生は、古文書を読み解いて津波の規模の確率を割り出している。南海トラフ地震のうち、十数メートルの津波の確率が20%、十数メートルには達しないが5メートル以上の確率が60%、5メートル未満が20%だという。古文書を信じれば、約8割の確率で5メートルを超える津波がやってくるようだ。古文書に記された知恵は、現代人に静かに警告している。

■古文書に記された高潮に襲われた悲しい親子のドラマ

 古文書は災害の教訓を授けてくれる存在だが、同時に過去の人々のドラマを読ませてくれることもある。本書より、静岡県袋井市の歴史文化館に保管される『長溝村開発由緒』に記された、高潮に襲われた悲しい親子のドラマをご紹介したい。

 延宝8年(1680年)8月6日、長溝村の浅羽庄(あさばのしょう)は台風がもたらす激烈な高潮に襲われ、老若男女300人が亡くなった。「橋に流れ着いた死人は、ただ藻が浮いているかのように見えた」という記述があるあたり、地獄絵図だったようだ。

 そして肝心の悲しいドラマは、「高潮から五、六十年過ぎただろうか。哀れな話を聞いたので書きつけておく」という書き出しから始まる。

 小口市場村の庄屋・喜兵衛という人が、庄屋の隣にある商店にいたところ、白髪の老人が訪れ、かたわらに腰かけた。たまたまそのお店に来ていた別の客が、昔の高潮の話をするのを老人はじっと聞いていた。そして次第にはらはらと涙を流し語り始めた。

「私は、あの高潮のときは若い盛りで、幼子が一人いました。あの高潮に打ち流され、その子を背負って生死をさまよいながら波間をあっぷあっぷと泳ぎました。

 山の近くまで泳いだところで精根疲れ、波に沈み死にそうになったので、〈このままでは二人とも死ぬ。なにとぞ私は助かって先祖の跡を絶やすまい〉と思い定めた。そこで背中の子をもぎ離し波に捨てようとすれば、子は(それを察して)悲しがり、しがみつく。それをまた引きはがす。するとまた、わっといって子がしがみつく。次第に私の力が弱り限界になったので、心が弱くては駄目だと思い切り、子をもぎ離し、わざと波に押し込んで突き流した。ようやく我が命ばかりは助かり、今日まで生き延びました。

 年が積もり白髪の老人になったのですが、昼も、夜も、あの時のことは忘れられません。それで皆様のお話に思わず涙を流してしまったのです」

 歴史は偉人の軌跡を記したものばかりではない。天災の記録をたどれば災害を乗り越える知恵になり、人間ドラマを見せてくれる。本書に記された歴史をぜひ読んでほしい。昔の日本人が記した当時の記憶を、そのときの感情を、そしてこれからに役立てる知恵を、ぜひ手にしてほしい。

文=いのうえゆきひろ