センター試験採用で話題になった「僕っ娘」小説、待望の復刊!

文芸・カルチャー

2019/3/13

『僕はかぐや姫/至高聖所(アバトーン)』(松村栄子/ポプラ社)

「僕っ娘」という言葉がある。その名のとおり一人称を「僕」で通す少女であり、フィクションの世界だけでなく現実の思春期にも少なからず登場する。胸のふくらみをはじめ、変化していく身体に対する戸惑いや、周囲から求められる女性性に対する無意識の反発を、ひとりの僕っ娘の視点を通じて描いた『僕はかぐや姫』(松村栄子)は、作家・宮木あや子氏も、自身の骨はこの一篇によって形成されているに等しい、と想いを寄せる傑作だ。

 2006年、センター試験にも採用され話題を呼び、新装版『僕はかぐや姫/至高聖所(アバトーン)』(ポプラ社)として復刊された。

裕生は〈僕〉を気取る自分の心情について考え始めた。もっと純粋でもっと硬くもっと毅然とした固有の一人称がほしいと思った。魂を、透けて見えても恥じない水晶のようにしたいと願った。

 この一文に、本作のすべてがつまっているように思う。決して男性になりたいわけじゃない。女性である自分を否定したい訳でもない。主人公の裕生が望むのは、男も女もない、一人の自立した人間として自分らしく、凛と生きることだけだ。女子校という閉ざされた世界で意識せずにいられた性別を、あることをきっかけに突き付けられずにいられなくなった彼女は、「けっきょく男を選ばなかった」かぐや姫に想いを馳せる。そこに描かれる、痛々しくも愛おしい自意識と高潔な心は、まるで我がことのように読者を揺さぶり、このたび復刊と相成った。

 収録されているもう1編「至高聖所(アバトーン)」もまた、芥川賞を受賞した著者の代表作。「(僕はかぐや姫で)自分のことを書くのはつらいと懲りた」という著者が、結果的に自身の大学生活を反映したという本作は、大人になる一歩手前、少女とも女性ともつかぬ“私たち”の物語。高校時代よりも少し複雑になった心の揺らぎを描き出している。どちらも、一文一文が硝子のように繊細で、宝物のようにいつくしみながら読みたくなる小説である。

文=立花もも