今なお存在する狂信的ナチス信仰。子どもですら思想コントロールされる恐怖を20代の女性が語る

社会

2019/3/21

『ネオナチの少女』(ハイディ・ベネケンシュタイン:著、平野卿子:訳/筑摩書房)

“テントは「総統のシェルター」あるいは「世界首都ゲルマニア」と呼ばれ、その入り口には「祖国と民族に忠誠を」と書かれた盾がある。真夜中に突然「警察がやってくるぞ」と叩き起こされ、暗闇の森を恐怖で縮み上がりながら必死に走る。すると、警察の代わりに死んだ豚の頭に棒を突き刺したものが照らされ、これは訓練だと知らされる…”

 これは、戦前や戦時中の話ではない。現在も行われているというものだ。「18歳まで私はナチだった」という25歳(執筆当時/1992年生まれ)の女性の手記『ネオナチの少女』(ハイディ・ベネケンシュタイン:著、平野卿子:訳/筑摩書房)で暴露した著者の実体験であり、小学生の時に毎年夏休みに行っていたというキャンプの様子だ。

 大戦後現在に至るまで、「ヒトラー」や「ナチス」は口にするのも憚られるほどの悪しきものとされている。特に本国ドイツでは、徹底的反省をもって歴史研究も行われているので、純粋にヒトラーを支持する人などもはやこの世に存在しないと考える人も多いだろう。

 そんな中、上記のような手記が出版され、ドイツだけでなく世界で大きな反響を呼んでいる。手記のタイトルは「ネオナチ」となっているが、著者は現政権への批判を理由に右翼活動に身を投じたネオナチではなく、純粋にヒトラーを信奉しアメリカらの資本主義諸国を敵と考えるナチだった。つまり、戦前の思想そのままのナチなのだ。

■どのような環境が彼女を“ナチ”に育てたのか

 いったい著者はどんな育ちなのだろうか?

 彼女、ハイディは、ドイツ・ミュンヘン近くの村で生まれ、ごく普通に学校に通い村人との交流もあり特に目立つ存在ではなかった。だが、誰にも言えない“普通ではないこと”があった。それは、父親がナチ信奉者だということ。そして、家庭は安らぎや愛情を受け取る場ではなく、軍隊式の厳しい躾と思想訓練の場だったということだ。

 例えば、階段を上る時に足音を立てたら静かな上り方を10回繰り返させられる、ホロコーストは敵国のデマに過ぎないと繰り返し教わる、など。また、マクドナルドからコーラにいたるまでアメリカの商品はすべて禁止で、ジーンズも駄目、テレビの視聴も制限されていた。

 こんな家庭なら、さぞ近所や地域で浮いていただろうと想像されるが、そんなことはない。この父親は税関捜査官という職業をもち、伝統ある射撃クラブにも所属しており社交的。村では一目置かれる知的な存在だったそうだ。家の外観、内観も特に目立つところはなく、ナチを思わせるものはない(地下室にアメリカが攻めてきた時のためにと食糧がたくさん保管されていたのだが、その異常さに気づくのは後のこと)。

 家庭内での教えについては、外では絶対に話すなと教えられて黙っていたので、村の人にも知られることはなかった。冒頭に挙げた夏休みのキャンプも世間的にはボーイスカウトの活動をしているように思われていたという。

 こうして、ハイディは、義務教育を終える年齢にはすっかりナチになっていた。友人はもちろん彼女を取り巻く人間すべてがナチだ。

■ナチス信奉に疑問を感じ、右翼団体を抜けるまでの厳しい道のりは――

 現在は、ナチとは決別しているハイディだが、決別のきっかけは、皮肉にも彼女の純粋なナチ信奉だった。本気で政府の転覆と革命を考え、ルドルフ・ヘス(ヒトラーの腹心としてナチ党の副総統を務めた人物)の生涯についてすらすらと解説できるハイディは、周囲の同年齢の若者たちが自分と同じではないことに失望を感じ始めたのだ。周囲の若者といっても皆ナチなのだが、彼らは規律も理想もなく酒場でつるんで世間の悪口を言い合うだけ。私が居たい場所はここではないと思ったハイディは、現在の伴侶との出会いや妊娠を機に、徐々にナチから距離を取り始める。

 そこから決別するまでには、大きな圧力と戦わねばならず、その困難な道のりも本書には描かれている。現在は保育士として働き、家庭もあり幸せだという彼女だが、内心に耳をそばだてると、過去の自分と今の自分、2人のハイディがいるそうだ。

 そして、今この瞬間にも、ハイディと同じような子どもが、法律や衆人の目をすり抜けながら、ひそやかに思想教育されている。

 ひとりの人生を通じて思想コントロールの恐怖を感じると共に、今後もさまざまな角度から対策の必要性を考えさせられる1冊だ。

文=奥みんす