男が過ごしたエロティックな夜…川端康成の『片腕』がヤバい!「片腕を一晩お貸ししてもいいわ」

文芸・カルチャー

公開日:2019/3/23

川端康成集 片腕―文豪怪談傑作選 (ちくま文庫)』(川端康成/筑摩書房)

 2019年に生誕120年を迎える文豪・川端康成。彼の代表作といえば、物語の冒頭があまりにも有名な『雪国』や、天真爛漫な踊子と学生の淡い青春を描いた『伊豆の踊子』を思い浮かべる人が多いかもしれない。なかには、夜な夜な眠る美少女に添い寝をする老人の秘密を綴った『眠れる美女』を読み、衝撃を受けた人もいるだろう。

 それぞれ趣向が違う作品だが“若い女性”が登場する、という共通点もある。川端作品には一瞬の若さと美しさを持つ、穢れを知らない“少女”が多く登場している。川端康成自身が抱く、少女への憧憬……というか執着が垣間見えるのが短編『片腕』だ。『片腕』は、あるひとりの男「私」が、美しい娘から一晩だけ借り受けた「片腕」と過ごす、妖しい夜を描いた幻想的な作品。

 同作は「片腕を一晩お貸ししてもいいわ」という、娘のひと言から物語がはじまる。彼女は言葉通りに右腕を外して「私」に渡す。男は、娘の右腕を見つからないように雨外套のなかにかくして自宅へと急ぐ。「私」と右腕の奇妙な物語の続きは、ぜひ本作で確認してほしい。本稿で取り上げたいのは娘の右腕の描かれ方だ。

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娘は私の好きなところから自分の腕をはずしてくれていた。腕のつけ根であるか、肩のはしであるか、そこにぷっくりと円みがある。西洋の美しい細身の娘にある円みで、日本の娘には稀れである。それがこの娘にはあった。ほのぼのとういういしい光の球形のように、清純で優雅な円みである。娘が純血を失うと間もなくその円みの愛らしさも鈍ってしまう。美しい娘の人生にとっても、短いあいだの美しい円みである。それがこの娘にはあった。肩のこの可憐な円みから娘のからだの可憐なすべてが感じられる。胸の円みもそう大きくなく、手のひらに入って、はにかみながら吸い付くような固さ、やわらかさだろう。娘の肩の円みを見ていると、私には娘の歩く脚もみえた。

 このように、腕の描写がとてつもなく長い。腕から娘の胸の大きさまで妄想できるのは特殊能力といってもいい。その後も「接吻する舌の先」、「あらわに空気と触れることにまだなれていない肌の色」「背のふくらみ」「細く長めな首」と、娘の右腕と娘の身体(妄想)に対するアツい描写は延々と続く。右腕ひとつで、娘の胸の円みから舌の先まで妄想をふくらませる「私」は、贔屓目に見ても純度高めの“変態”に思える。

 無事に自宅まで娘の右腕を持ち帰ってきた「私」は、娘の右腕と対話を楽しむが、一瞬でも気を抜くと、すぐに腕への熱情がだだ漏れになる。

私は膝においた娘の片腕をながめつづけていた。肘の内側にほのかな光りのかげがあった。それは吸えそうであった。私は娘の腕をほんの少しまげて、その光りのかげをためると、それを持ちあげて、脣(くちびる)をあてて吸った

 うら若き娘の肘の内側にある光のかげを見て「それは吸えそうであった」と、瞬時に思い至る「私」。彼は何かしらの修行を積んでいるのかもしれない。この『片腕』は、娘の腕の描写だけでもかなり読み応えがある作品といえる。

 もちろん同作は、少女の右腕を愛でるだけの作品ではない。しっかり物語を追えば、独特な不気味さとじっとりとした恐怖を感じる“怪奇譚”としても楽しむこともできる。幻想と怪奇、そして魅力的な「腕」……さまざまな切り口で何度も味わえる作品なのだ。

文=とみたまゆり