ノムさんが監督として甲子園を目指す!? 大谷翔平にはなれない「超二流」の定義

スポーツ・科学

公開日:2019/8/19

『超二流 天才に勝てる一芸の究め方』(野村克也/ポプラ社)

 野村克也氏は、日本で最も知られる野球人だろう。選手としての功績もさることながら、監督として、野球評論家としての実績と人気は、まさに不世出。御年84歳の今も、メディアで見ない日はない。だから、野村氏のことを“一流”の成功者とみる人も少なくないかもしれない。だが、同氏は自身を今も“二流”で“弱者”と言い切る。

 その理由を明かし、世の中の大部分の「一流ではない人」に勇気を与えるのが、同氏の最新刊『超二流 天才に勝てる一芸の究め方』(ポプラ社)だ。「超二流」とは、同氏が尊敬する三原脩監督が作り出した言葉で、1950年代当時、弱小チームと呼ばれた西鉄ライオンズで、選手たちを適材適所で輝かせながら、黄金期を築いた名将。

 努力次第で“超二流”にはなれると自身を含めた豊富なキャリアから説いているのだ。

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■大谷翔平にはなれない。超一流を凌ぐ超二流とは?

 野村氏は、「超二流」をこう説明する。

「超二流」をあえて定義するならば、自らの強み・長所と弱点を理解して、強みを活かせるように頭をつかう選手のことだろう。

 そういう選手が多ければチームは強くなる。典型が、同氏の教え子である元日本代表監督の稲葉篤紀、ヤクルト黄金期を支えた古田敦也、高津臣吾、同球団の現ヘッドコーチを務める宮本慎也ら。今や誰もが成功者と認める野球人たちだ。

 彼らを例にあげたエピソードは、野球の枠を超えて、くすぶっている人に訴えかける。個人や組織がどう力をつけていくべきなのか。例えば、大谷翔平は一流の逸材だが、超二流は、時にそうした才能をも凌駕する。さらに、才能だけでやっている一流ならば、超二流の方が本物の一流だと賛辞する。

■「上に立っても、結果が出ても、弱者は謙虚たれ」

 ただし、どんな時も謙虚でなければいけないと野村氏は繰り返す。自身も今でも「野村ノート」を更新し、反省や不安と向き合っているそう。

 弱者が染み付いているという野村氏は、一流の選手よりも二流の選手に目が行くという。弱い選手やチームが、強い選手やチームに打ち勝つのは、野球の醍醐味で本質を面白くすることに他ならないからだ。

 あとがきには、同氏が母校で野球の強豪校ではない京都府立峰山高等学校の野球部監督になりたいと綴っている。強豪校がほぼ順当に勝ち進む夏の甲子園。もし実現して、番狂わせを起こしてくれたら…。「超二流」には夢の続きが詰まっている。

文=松山ようこ