「明明後日」はなんと読む? 地域によって読み方や指す日が違うことも! 興味深い方言をマップで解説

文芸・カルチャー

2019/9/19

『方言の地図帳(講談社学術文庫)』(佐藤亮一:編/講談社)

 普段はほとんど意識しないのに、普段と違う場所に行ったり、出身地の異なる人と話したりすると、強く興味を引かれるものがある。方言だ。有名な「関西弁」、慣れないと聞き分けに苦労する「津軽弁」「薩摩弁」など、地域ごとに異なる「意味」「アクセント」「語感」を持つ方言は、なぜか聞くたび強烈に耳に残る。出身地の方言を使い続ける地元愛あふれる人を時折見かけるように、方言はその地域を生きたというアイデンティティーであるのだろう。

『方言の地図帳(講談社学術文庫)』(佐藤亮一:編/講談社)は、方言の分布を日本地図とともに分かりやすく示し、その分布の背景にある歴史や、新しく作り出される方言があることも解説する1冊だ。辞書のような読み方もできる本書は、方言を「生活」や「行為」など分類ごとにまとめており、目次から気になる言葉を選んでページを開くことも可能だ。

■「明明後日」の約束をしたつもりが大変な誤解を生むかも…

「あさっての次の日」を表す「明明後日」。共通語では「シアサッテ」と発音するが、「ヤノアサッテ」「ヤナアサッテ」「ヤナサ(ッ)テ」と答える人がいたら、その人は東日本出身だろう。

▲本書p.47より

 日本地図で見ると、「ヤノアサッテ」系の分布は主に東日本だ。共通語である「シアサッテ」は、東京都区内と西日本の広くに分布している。しかしなぜ都区内が例外的に「シアサッテ」なのだろうか。本書の解説によると、都区内も一昔前は「ヤノアサッテ」が主流だったが、関西との交流が盛んになったときを境に「シアサッテ」を取り入れた歴史があるそうだ。

 さらに興味深いのは、「明明後日の翌日」を表す「明明明後日」だ。共通語では「ヤノアサッテ」と発音する。問題は、東京都区内を除く関東一帯がこれを「シアサッテ」と発音することだ。共通語は明明後日を「シアサッテ」、明明明後日を「ヤノアサッテ」と発音するのに、なぜ関東一帯だけは逆転現象が起きたのだろうか?

▲本書p.49より

 この奇妙な分布の謎を解くカギは、福島県や山形県に見られる「サーサ(ッ)テ」勢力だそうだ。方言による「対立分布」と「侵入」が起きたことによって、現在のシアサッテが入り乱れる奇妙な分布が生まれたのだという。この仁義なき(?)方言勢力の争いの詳細は非常に奥深くおもしろいので、本書に譲りたい。もし、関東地域で誰かと「シアサッテ」の約束を取り付けようと思ったら、「あさっての次の日のことですよ!」という一言を付け加えないと大変な誤解を生んでしまいそうだ。

■地域性が見られる「禿頭」の方言

 方言の広がりは生活で使われる言葉だけにとどまらない。ときには俗っぽい言葉においても違いが生まれる。たとえば「禿頭」。

▲本書p.69より

 石川・富山・岐阜北部の方言では「滑る」を「ズベル」といい、それに合わせて「禿頭」を「ズベ」「ズベタ」という。一方、山形や新潟では「衣服などの布地がすり減って薄くなる」「雪道が踏み固められて鏡のように滑らかになる」という意味を表す「アメル」という方言があり、頭の“すり減ってなめらかな様子”を「アメ(アタマ)」と表現するそうだ。…ちょっと悲しくもなる響きだ。

 禿頭を何かになぞらえて表現する地域も多い。東日本では「ヤカン」、近畿以西では「チャビン」、中国から九州にかけては金柑になぞらえて「キンカン(アタマ)」という表現が。俗な言葉にも方言があり、それぞれの地域性が垣間見えておもしろ…うーん、やはりどことなく悲しい。

■「ウザイ」の語源は意外なところにあった

 方言の日本地図をしげしげ見つめるのも興味深いが、本書の後半で解説される「方言の基礎知識」も非常におもしろい。方言に関する基礎知識についても解説されており、方言に興味を持った人にとってさらに充実した情報を提供してくれるだろう。

 たとえば、三重県の一部では、大きいことを「小さい」、早いことを「遅い」と表現する「逆さ言葉」がある。これは“驚いたとき”に使われる方言だそうだが、何も知らずに「こんど来られた先生は、ほんとうに小さいもんか。そしておまけに歩くのに遅いもんか」なんて聞いた日には、「なんて悪口だ!」と勘違いしかねない。

 また、若者言葉として大人から批判を受けてきた「ウザッタイ」や「ウザイ」。これは東京新方言の一例で、なんと若者から自然発生的にできた言葉ではなく、きちんと語源が存在する。神奈川県や東京多摩地方には「(蛇などを見て)気味が悪い」という「ウザッタイ」があり、それを東京の若者が「学校の先生ウゼ~」と、意味を広げて使い始めたのだそうだ。

 方言は“昔からその地域で使われる言語”というイメージが強いが、実はそうではなく、“今を生きる人々”が常にその形を変えながら使い続けている。さらに日本全国で通じる「共通語」もまた、各地の方言を吸収しながら時代に応じて形を変えているという。言葉は“生き物”であることを痛感する。日本語は私たちが生きている間にどんな変化をとげていくだろうか?

文=いのうえゆきひろ