読者の先入観を利用した騙しの文体に翻弄され、気づけば著者の手の内に落ちている――「暮らしの小説大賞」第6回受賞作『しねるくすり』

文芸・カルチャー

2019/10/16

『しねるくすり』(平沼正樹/産業編集センター)

「現実って、なかなか大変じゃないですか。物語に浸って現実を忘れることが私には大事なんです。もっと小説をちょうだい」と、応援大使の光浦靖子さんも期待を寄せる「暮らしの小説大賞」。この度、第6回受賞作が刊行された。タイトルは『しねるくすり』(平沼正樹/産業編集センター)。薬学にまつわるミステリーだが、読んだあと不思議と生きる希望がほのかにみえてくる大学生の青春小説でもある。

 大学生、といっても薬科大学の3年生である主人公・数納薫はすでに三十路をこえている。冒頭、同じ大学に通う芹澤ノエルと小料理屋でふぐ料理を堪能する場面が描かれるのだが、「大学生が二人でふぐってのもなかなかオツやろ」と言う芹澤に隣のカップルがぎょっとする、という描写は、年齢が明かされる前と後ではその意味合いが変わる。ノエルという名前にたいてい芹澤を女性だと思わされるが、その物言いにだんだん違和感を覚えたころに男性と明かされ、自分たちの思い込みにはっとさせられる。読者の先入観を利用した騙しの文章の数々に翻弄されるうち、読者は気づけば、著者の手の内に落ちている。

 10年浪人した薫にとって、12年浪人した芹澤は唯一無二の親友だった。だから「どうしても落としたい女がいる」と聞けば部屋を貸したし、それが自分もひそかに惹かれていた同級生・成瀬由乃だったとしても、2人がつきあいはじめたあとも変わらず密な関係であり続けた。だが、穏やかな時間は突如として終わりを迎える。芹澤が、自殺してしまうのである。

 生前、理想の死に方を追及し、飲むだけで死ねる薬を欲していた芹澤。一方で、SNSでは「たった1錠で痛みも苦しみもなく確実に死ぬことができる薬」の噂が出回る。薫視点の物語の合間に挟み込まれるのは、その薬を本当に必要としている人に譲渡する誰かの視点だ。芹澤の死の真相と彼の過去を探るうち、薫は由乃とともに知らぬ間に事件に巻き込まれていくのだが…もしかしたら薫こそが“真犯人”なのか? いやでも、そうしたらこの文章の意味は。と疑心暗鬼にさせられるのが本作の読みどころ。なかなかつかめない真実にすっかり夢中になってしまう。これが著者にとって人生2作目の小説だというから、驚きだ。

「戦略を考えるのが好き」という著者が、読まれるため、読ませるために練りに練った本作。ミステリーとしての仕掛けだけでなく「生きる意味を見いだせない」という芹澤の想いや、帯にある「いつでも死ねると思ったら、生きていくのがラクになった」という言葉の真意に、生死の境を考えさせられる重厚さもある。ダイスケリチャードさんの描く表紙にこめられたものを、読み終えた余韻に浸りながら考察するのも楽しいだろう。二重三重に工夫された新鋭のデビュー作を、ぜひ堪能してほしい。

文=立花もも