歴代首相とマスコミの仰天な関係とホリエモンの意外な姿が描かれた衝撃の群像劇!

社会

2020/1/7

『二重らせん 欲望と喧噪のメディア』(中川一徳/講談社)

 戦前・戦後の日本を支えた、新聞・ラジオ・テレビの3大マスメディア。その歴史をさかのぼると、意外な発見がある。

 例えば、1970年代にラジオの深夜放送ブームをけん引した文化放送は元々、カトリック布教を目的にした放送局(51年、聖パウロ修道会が設立した日本文化放送協会が母体)だった。そのため開局当時、ドタバタとした局内ではシスターたちも右往左往していたそうだ。

 また、59年に放送を開始したテレビ朝日は当初、日本教育テレビという教育番組を中心とするチャンネルであり、出資していたのは、朝日新聞ではなく日本経済新聞だった。

 こうした戦前・戦後の日本におけるメディア勃興史を概観しながら、現在に至るまでのフジテレビとテレビ朝日の変遷を描いたノンフィクション超大作が、『二重らせん 欲望と喧噪のメディア』(中川一徳/講談社)である。

 変遷とはいえ、本書が描くのは、番組に象徴される華々しい表舞台でも、「電波は公共のもの」を体現する在るべきメディアの姿でもない。

 テレビ特有の“絶大な影響力”という武器にして金のなる木に魅せられた、政治家、実業家、投資家、裏のフィクサーなど、野心に満ちた輩が群がり、ついにはマネーゲームの具と化す「メディア経営」の舞台上である。

●フジテレビとテレビ朝日が二重らせんとなった理由とは?

 書籍のタイトルの二重らせんは何を意味するのか。著者はこう説明する。

フジテレビ(8)とテレビ朝日(10)、二つのテレビ局は一九五九年(昭和三十四年)のほぼ同時期に開局した。両局はライバルではあるが協力もし、その歴史は複雑に絡み合う。五十余年の足跡をたどれば、似たような内紛、事件にも再三見舞われ、それはあたかも相補う二重らせんのような趣さえあった。

 8と10が二重らせんになったのは、開局当初より両局の大株主として君臨したある一族がいたからだ。それが、戦前に教育出版社の旺文社を創業し、冒頭にあげた文化放送と日本教育放送(現・テレビ朝日)にも深く関わった、赤尾好夫氏を長とする赤尾家である。

 大学受験雑誌『螢雪時代』や赤尾の豆単など、数々のヒット教材で知られる赤尾氏は戦後、放送メディア界に進出。77年には、文化放送株を半数以上、フジテレビ株31.8%、テレビ朝日株も21.4%保有する。

 本書によれば、東京のキー局2局とラジオ局の株を数十%というまとまった単位で保有した一族は、赤尾家の他にはいないという。

 様々な人物が交錯する群像劇ともいえる本書には、赤尾家の他にも、フジテレビのもうひとつのオーナー家である鹿内家、テレビ朝日を牛耳ることになる朝日新聞の社主である村山家といった創業家たちが顔をそろえる。

 そしてサラリーマン側からは、現在のフジ・メディア・ホールディングス体制の立役者となった、日枝久氏(現同ホールディングス取締役相談役)を中心軸に、各社の歴代のマネジメント・トップ勢が交わり、経営をめぐりそれぞれの思惑をぶつけ合う。

 さらに本書後半からは孫正義氏や、“モノ言う株主”こと村上世彰氏と堀江貴文氏が登場し、フジテレビ買収をめぐる攻防戦が展開する。

●歴代の首相とマスメディアの驚くべき関係とは?

 本書には、堀江氏の知られざる姿も登場する。

 インターネット黎明期の96年に産経新聞が立ち上げたウェブサイト『ZAKZAK』(現・夕刊フジ公式サイト)。97年にニッポン放送が企画したインターネット放送。このどちらもが堀江氏のエンジニア力で実現させたものだった。

 その後の2005年、堀江氏のライブドアはニッポン放送株の35%を持つ筆頭株主となり、当時はまだニッポン放送の子会社だったフジテレビの買収に王手をかける。

 もしこの時、堀江氏の手にフジテレビが渡っていたら、その後、日本のテレビは果たして変わっていたのだろうか。本書を読んでいると、つい、そのことを思う。

 というのも本書には、佐藤栄作、田中角栄、中曽根康弘といった歴代の首相たちが登場し、いかにメディアと関わってきたかの内幕も記されている。

 政治権力のトップにいる首相がメディアを操る姿は想像通りだとしても、逆バージョンもあることには驚かされる。

 本書には、朝日新聞のある社員が、首相になったばかりの中曽根氏の組閣に意見し採用されただけでなく、飲み会の場に電話一本で中曽根氏を呼びつけているシーンも登場する。他にも様々に描かれる、恩の売り買いで互いに忖度し合う政治家とメディアの姿は、あまりに公益性とかけ離れている。

「こうした姿は8、10チャンネルに限らず、程度の違いはあれほかのテレビ局にもあることだ」と記す著者。

 群像劇に紛れて影が薄くなりがちだが、著者の主眼が「政治権力と放送メディアが結託したいびつな日本社会」に置かれているのは間違いないだろう。

(メディアの公益性を)「真に望むことの愚かしさも知っているし、そうした状況を根底から糺(ただ)すのでもない、諦めが漂う半端な社会に生きている」という言葉で締めくくられる本書。

 さて、日本のメディアの今、そして未来に対して、あなたは本書から何を思うだろうか。

文=町田光