日本語はなんでもありの言語!? 小説家・京極夏彦が説く、「日本語の不完全さ」とは

文芸・カルチャー

2020/1/17

『地獄の楽しみ方 17歳の特別教室』(京極夏彦/講談社)

“言葉は、この世にあるものの何万分の一、いや、何百万分の一ぐらいしか表現できないものなんです”

 小説家の京極夏彦さんは『地獄の楽しみ方 17歳の特別教室』(講談社)で「言葉」についてそのように語る。本書は、15~19歳の聴講生に向けて行われた特別授業を基にまとめられた一冊だ。

「馬」と読んで、あなたはどんなイメージを思い浮かべるだろうか――。

「馬」と書かれたとき、それが指す「馬」は果たして、大きいか、小さいか。どんな色でどんな毛並みか。はたまた「馬刺し」を思い浮かべる人もいれば、「競馬」かもしれない。「馬鹿」や「馬力」を思い浮かべる人もいるだろう。

 すなわち、不完全な言葉に足りていない情報を補完するのは、言葉の受け手なのだ。彼が述べるように、言葉は不完全なものである。

 特に日本語は“なんでもあり”だと京極さんは言う。中国語由来の漢字表記に、日本でアレンジされたひらがな、カタカナ。外国語もどんどん取り入れて、カタカナ表記する。それに加えて絵文字や顔文字、スタンプまで使って、現代人はコミュニケーションを取る。「日本スゴイ」という発言ではないと牽制しながら、日本語の特性を京極さんは説いていく。

 日本語ではそのようにたくさんの文字を使えるからこそ、「馬」の例からもわかるように、ひとつの言葉からたくさんのイメージに接続されていく可能性を内に秘めている。だから、SNSは炎上する。言葉は欠損しているものであり、過剰に情報を呼び込む。

“あなたの書いた文章は、あなたの思うとおりに受け取られることは、まずありません”

 小説家として言葉を扱う京極さんの指摘には説得力がある。京極さん曰く“小説は読者のもの”であり、“書き手の気持ちなんかどうでもいい”と、清々しく言い切る。言葉に対して真摯な姿勢に感じられる。

「愛」「絆」「夢」。京極さんは“雰囲気使いのできる”言葉を取り上げて、本当にその言葉で済ませていいのだろうかと問い直す。読者はドキリとさせられることだろう。

“こんなオヤジが、こんな高いところから、こんなささやくような声で言うことは、素直に信じちゃダメなんです”

 と釘を刺すことを忘れない京極さんのお話を、10代の子ども向けの講義録だと侮るなかれ。本質を突く「言葉」を、注意深くイメージを膨らませながらぜひ読んでみてほしい。

文=えんどーこーた