「オバさん」になるって、そんなに嫌なこと? ジェーン・スーの“加齢肯定賛歌”『これでもいいのだ』

文芸・カルチャー

更新日:2020/2/28

『これでもいいのだ』(ジェーン・スー/中央公論新社)

 バブルが終わりかけのころ、「私がオバさんになっても」と「加齢」への複雑な思いを森高千里は華麗なミニスカート姿で歌った。そして50歳になった昨年、再びTVでこの曲を歌ってみせた。もちろんミニスカートで堂々と。その姿は「オバさん」という言葉の持つ否定的なニュアンスに軽くパンチを浴びせるような心地いいものだった。

 当たり前のことだが、人は歳を取る。可憐な少女もやがて大人になり、そして立派な「オバさん」になっていく。「劣化」と騒ぐ外野をいくら無視しても、「アンチエイジング」に躍起になっても、未来はそう変わるものでもない。でも、ちょっと待って。「オバさん」になることって、本当にそんなにイヤなことなんだろうか?

 人気コラムニストのジェーン・スーさんは、自身の「オバさん化」を最新のエッセイ『これでもいいのだ』(中央公論新社)で、「オールエリアパスを手に入れる」と肯定的に表現している。かつて10代後半には「20代なんて、もうオバさんだ」と真剣に思っていたものの、実際には大人ですらなかった20代。30代を目前に男たちがふざけて「オバさん」呼ばわりするのに苛立ちを感じ、いざ迎えた30代は率先してオバさんを自称するグループと、オバさん呼ばわりを絶対に許さないグループに分裂する息苦しいものだった。だが45歳になった今は違う。たとえ流行りについていけなくても、体力がなくても、全ては「私、オバさんだから」の一言で開き直ってしまってOK。その状態を「私はようやくオバさんという言葉を自分のものにできた気がする」と心から喜ぶ姿が、なんとも清々しい。

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 正直なところ、すでに50代になった立場からいわせてもらえば、「オバさん」になることは決して悪いことじゃない、というか、かなりラクだ。実際、更年期が重なって肉体的にも心理的にもしんどいことは増えてくるが、何事もあっさり年齢が言い訳になるのはめちゃめちゃ便利。とかく女たちは「加齢」に悩みがちなものだが、若い頃からこういう加齢の「実利」を知っておくのは大事なこと。未来も悪くないと思えれば、むやみに「オバさん化」を恐れることなく、無駄に焦ることもなく、心穏やかに自分の現実を受け入れることができるはずだから。

 本書はそんな境地のジェーンさんが、日々の生活の中で感じた、ちょっとした気づきを共有できる一冊。パートナーの洗濯への感覚の違いに憤ったり、高額の買い物に戸惑ったり、喪服がパツンパツンになったり、再結成したガンズ・アンド・ローゼスや田原俊彦に萌えたり…立派にオバさんになったって、別に人間が丸ごと変わるわけでもない。感性の根本は変わらないし、新しいものを見れば興奮するし、相変わらずドタバタとした日常だって続いていくのだ。

 そんな中、女性の生きやすさについて、ジェンダーについて、仕事について…誰もがちょっとずつ気になっていることをきっちり言葉にしてくれるのがジェーンさんらしい。「つい忘れちゃうけど、こういう視点はやっぱり大事」と肝をしっかり押さえる俯瞰的なその眼差し、やはり信頼できる。

 それにしても、私たちは幾つになっても「理想の子育て」とか「理想の老後」とか、幸せの形を規定して人をジャッジしようとするもの。でも、本当のところ「幸せ」は自分目線で決めることであり、どんな形だって本人がよければそれでよい。ジェーンさんは「そこそこ楽しい」としばしば語るが、頑張りすぎなくても自分が楽しいならばそれは十分幸せな生き方なのだ。人生は「これじゃなきゃ」ではなく「これでもいい」。そんな風に気楽になれるのも、オバさん化の実利かもしれない。

文=荒井理恵