27年前の少女失踪事件の真相は? 母と娘の悲壮な人生の秘密に迫る宮本輝の異色長編『草花たちの静かな誓い』

文芸・カルチャー

更新日:2020/4/23

『草花たちの静かな誓い』(宮本輝/集英社文庫)

『螢川』『優駿』『錦繍』『青が散る』「流転の海」シリーズなど、数々の純文学作品で人間のドラマを書き続けてきた作家・宮本輝氏。本作『草花たちの静かな誓い』(集英社文庫)は、そんな宮本輝氏らしい人間の心の機微、人との出会いから生じる運命の変化を描きつつ、女児誘拐事件の真相を追うミステリーとしての趣もある長編作品だ。

 物語の舞台になるのはロサンゼルス郊外の高級住宅街、ランチョ・パロス・ヴァーデス。主人公の小畑弦矢は、日本旅行中の叔母、キクエ・オルコットが修善寺で急死し、その遺骨を抱えて彼女が住んでいたランチョ・パロス・ヴァーデスを訪れることになる。そこで弁護士から聞かされたのは、キクエの遺言で弦矢が彼女の遺産の相続人になっているという寝耳に水の事実だった。その総額、4200万ドル。日本円にして42億円を超える莫大な遺産だった。

 自分が相続することになるキクエの屋敷にやってきた弦矢に弁護士はさらなる意外な事実を告げる。6歳のときに白血病で死んだはずのキクエの娘、レイラは死んだのではなく、27年前に行方不明になったのだ、と。その日、キクエと一緒に自宅近くのスーパーマーケットに行ったレイラは、ひとりでトイレに入ったきり戻ってこなかった。キクエとその夫、イアンは警察に任せるだけでなく、自分たちも専門の業者を使うなど、血眼になってレイラを捜す努力を続けたが、レイラが見つかることはなかった。イアンはレイラと再会することなく、膵臓ガンで死亡。以来、キクエはひとりで生きてきた。もし、レイラがどこかで生きていれば33歳になる。キクエの遺言の草案では、レイラが見つかったときは遺産の70パーセントを彼女に与えるという文言があったという。

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 甥である自分に対して常に励ましと金銭的援助を惜しまなかったキクエの愛情、そして娘の身を案じて悲しみ、苦しんだ日々に思いを馳せた弦矢は、この地にとどまり、レイラの消息を探ろうとする。キクエはなぜ27年もの間、レイラの事件を隠してきたのか。彼女は誘拐されたのか、それとも――。

 自然豊かでジャカランダの大木に花が咲く異国の地で独り言をつぶやきながら、現地の人々と交流し、わずかながらも手がかりを見つけていく弦矢。ウクライナ系アメリカ人の私立探偵ニコライ・ベルセロスキーの協力を得て、ふたりは少しずつ事件の真相へと近づいていく。謎を追いながら、ふたりが信頼関係を作り上げていく姿は、ハードボイルド小説のような雰囲気も感じさせる。このような関係性が形成されたのも、弦矢という青年の素朴で善良な性格や生き方にニコライが共感を覚えたからだろう。本作は、そうした弦矢のポジティブな成長の物語でもある。

 そして、キクエがデザインした邸宅の庭に植えられた草花の数々、数え切れないほどの植木鉢のなかに咲く花々の自然描写も美しく印象深い。それは彼女の人生そのものと響き合い、『草花たちの静かな誓い』というタイトルともつながっていく。キクエが隠し続けた秘密と母としての悲壮な決意は草花に託されて、それを受け取った弦矢は生命力あふれる草花、その美しさとたくましさに希望を感じ取るのだ。

文=橋富政彦