好きになった相手がポリアモリーだったら…? 葛藤をかかえる24歳青年を通して読者の価値観をも揺さぶる!大前粟生の恋愛小説『きみだからさびしい』

文芸・カルチャー

公開日:2022/3/8

きみだからさびしい
 『きみだからさびしい』(大前粟生/文藝春秋)

 好きな人には自分のことだけ見ていてほしいし、できることなら独り占めしたい。犯罪行為に至らない限り、その想いは美しくて尊いものとして物語で描かれることが多いけれど、好きになった人がポリアモリー、複数の人と合意の上で交際する恋愛スタイルだったらどうだろう? 『きみだからさびしい』(大前粟生/文藝春秋)は、好きで好きでたまらない人がポリアモリーだった青年の葛藤を通じて、真に他者に寄り添うとは、尊重するとはどういうことかを問いかけてくる小説だ。

 京都市内の観光ホテルで働く24歳の町枝圭吾は、4歳上の窪塚あやめに恋している。ランニング中、こけて怪我したところを助けられて知り合った彼女とは、ときどき、一緒に走るだけの間柄。一緒にいるとただただ楽しくて、彼女の笑顔を見ているだけで幸せな気持ちになれる。けれど、少しずつだが着実に育っていく“好き”という気持ちが、圭吾は怖い。彼女を傷つけるようなことは絶対にしないと決めてはいるけれど、気持ちが暴走して距離感を間違えないとは言い切れない。コントロールのきかない、性欲のいりまじる情緒を、それが恋だからというだけで無条件に許したくない圭吾は、あやめとの関係を長らく変えることができずにいた。

 作者・大前粟生さんはデビュー作『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』で、どれほど肯定的な想いであっても、自分の気持ちが相手を傷つけるものであるかもしれないということを、大学生たちの姿を通じて描いた。本作ではさらに一歩踏み込み、恋愛関係が成立したその先で、どうすれば大好きな人を自分の欲望で歪めることなく、本当の意味で大切にすることができるのかという葛藤を描きだしている。

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 意を決して告白した圭吾に、あやめは「私さ、ポリアモリーなんだけど、それでもいい?」と聞く。ポリアモリーそれじたいは個人の価値観として認めながら、いざあやめとつきあうとなると、わりきれないものを圭吾は抱える。けれど、どうしたってあやめだけが特別で一緒にいたいのだという気持ちを抑えきれず、あやめのすべてを受けいれようと決めるのだけど……。

 やはりポリアモリーである、あやめのもう一人の恋人は、言う。心には小さな穴がいくつもあいていて、一人の相手だけでは埋められない。だから埋めてくれそうな人を見つけるたびに好きになってしまうのだ、と。圭吾の心にだって、たぶん穴はいくつもあいている。けれど圭吾は、職場の同僚たちでその穴を埋めることはあっても、性的な関係をむすぶことはない。その違いは、大きい。それでも圭吾はあやめに「変わってほしい」とは決して言わない。自分のエゴを押しつけないよう、全身全霊であやめを好きでいようとつとめるのだ。そんな彼を見て、あやめもまた同じように“好き”を返したいと願うのだけど、あやめがポリアモリーである限り、2人が完全に溶け合うことはむずかしく、どうしたってすれ違いは生じてしまう。さびしさの穴を埋めるために恋人同士になったはずなのに、恋人同士になってからのほうが、穴は増えていってしまう……。それはもしかしたら、パートナーがポリアモリーでなくとも、しばしば起きることではないだろうか。

 自分の欲望を優先して、相手を抑圧して傷つけるのは、決してしてはならない行為だ。でもだからといって、相手を尊重しすぎて、自分の心を押しつぶしてしまってもいけない。 “違い”をもつ他者と他者が、互いを同等に尊重して愛しあうためには、いったいどうすればいいのだろう。考え続けるしかない問いを、圭吾やあやめの姿を通じて、読み終えたあとも、考えている。

文=立花もも

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