漫画『きみは謎解きのマシェリ』の作者・糸なつみさんに聞く! 昭和初期、差別・偏見に負けずに生きる“探偵たちの物語” 制作秘話

マンガ

更新日:2022/4/5

きみは謎解きのマシェリ
『きみは謎解きのマシェリ』(糸なつみ/双葉社)

 マンガ『きみは謎解きのマシェリ』(糸なつみ/双葉社)の冒頭には、「男の仕事 奪うべからず」「女ハ家ニイロ」と扉に落書きされたシーンがある。現代では(表向きには)ありえないような物言いだが、そう遠くない昔、こんな時代が確かにあった。昭和初期のことだ。カッコ内に「表向きには」と書いたのは、今でもこういった風潮がゼロにはなっていない可能性があるからだが、いったん置いておく。少なくとも今、こんなことを扉に落書きしようものなら……。

 昭和初期、探偵として働く星野美津子を描いたのが本作『きみは謎解きのマシェリ』である。ある事件をきっかけにして、なし崩し的に助手となった大学生・吉田朔とともに、身のまわりに起こる事件を解決していく。

 この時代に美津子のような仕事をする女性は「職業婦人」と呼ばれていた。昭和初期の「職業婦人」を描くにあたって、作者の糸なつみさんは綿密な取材を重ねたという。

「昭和初期の銀座の企画展を見に行ったり、サイレント映画を観たりしました。最初は手探りながらも、今を生きる自分の感覚で、昔に作られたものに意識的に触れていって。そうして調べていくと、当時の新聞や雑誌に、差別的な言葉がズラっと並べられていて驚きました。女性が働くことで『男性が職を奪われる』という感覚を持った人も多かったみたいです」(糸なつみ)

 逆に、前向きな意味で「職業婦人」を特集した雑誌などもあったとのこと。

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 この物語は、美津子がクライアントから「女にしては仕事が早かったな!」と嫌味を言われたり、探偵事務所の扉に「男の仕事 奪うべからず」と落書きされたりなど、ショッキングな描写で始まる。だが一方で、探偵事務所の所長は、落ち込む美津子に対して「物事を変えていくには手間がかかるのは当たり前です。一緒に頑張りましょうよ」と優しい言葉をかける。

「『職業婦人』を前向きに特集した雑誌などを見て、当時も女性の背中を押してくれる存在がきっといたんだなと思って、美津子と所長のシーンを作りました」(糸なつみ)

 もともと警察官になりたかった美津子は、「女の警官なんて夢物語だ」と父親に怒鳴られた過去があった。そこに所長が、「君の思う“人助け”とは違うかもしれないが、幸い探偵という職業には性別は関係がない。ウチで働きませんか」と声を掛け、美津子は探偵になったのだ。

 どんなに酷い環境でも、自分をわかってくれるたった一人の一言で救われることがある。そんな“一言”を得やすい環境になっているのは、現代のいいところなのではないか、と糸なつみさんは分析する。

「差別については今も残っていますし、『大正時代の身の上相談』(ちくま文庫)という本を読んでみたら、出てくる人みんな、結婚や仕事、勉強や将来の不安、本質は今とまったく変わらないことを悩んでいて。当時のものに触れるたびに、いい意味でも悪い意味でもそんなに変わってないかも……? と思うことが多いです。ただ、そういった個々の悩みを外に発信して、顔も知らない人と共有ができるのは、昔と変わった点だと感じます。好きなことについて話したり、誰でも意見できたり、声をあげやすい環境だな、と」(糸なつみ)

 本作は女性差別だけではなく、男性の生きづらさ、家柄のしがらみ、世間からのイメージなど、周囲からのレッテルや型にはめられて「個を潰される」人々が描かれる。そして、それにあらがう人々というのが、物語の軸となっているのだ。例えば、ある章では、自らのジェンダーアイデンティティに悩む男性についてのエピソードが語られる。今と比べて当時の理解のなさたるや、想像に難くない。

 とはいえ、誰しもこういった「型」で人を見てしまう部分はあるはず。そういったことを少しでもなくすには、どうすればいいのだろうか。糸なつみさんは語る。

「これについてはいつもグルグル考えています。自分の中にも無意識に『型』で考える思考回路が絶対にあるし、他の人からもなかなかなくならないでしょう。まずは『人を型にはめようとする自分』を自覚することが大切なのかもしれません。自覚して、間違えていたな、と思ったら訂正する、考える、これの繰り返しをしていると、目の前の人も、自分の世界の外の人も、“一人の人間”として見ることができる気がします。難しいですよね」(糸なつみ)

 昨今、『82年生まれ、キム・ジヨン』『私たちにはことばが必要だ』など、女性差別がテーマの作品が注目を浴びている。本作はそのテーマを違ったアプローチから描いた作品とも捉えられるが、もっと広く、性別に関わらず「差別」や「生きづらさ」「個としての生きざま」にスポットを当てている分、誰もが何らかの部分で“自分事”として受け止めやすいのではないかと思う。

 誰もが一人一人、個として生きているのだ。性別とか、家柄とか、年齢とか、そういうもの以前に、「個」。第二巻が3月28日に発売されたばかりの『きみは謎解きのマシェリ』は、生きづらさに悩むすべての人々が、一緒に泣いて、笑って、エールをもらって……、きっとそんな作品になっていくはずだ。

文=朝井麻由美

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