鉄華団の少年たちは、自身の運命に抵抗し、自らの足で歩きはじめる。『機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ 特別編』第3話

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公開日:2022/5/13

機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ
『機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ』©創通・サンライズ

 戦場で出会った兄と弟。その弟は大人に操られ、ただ戦わされるだけの「人形」となっていた。兄はその弟の姿に、かつての自分を見る。自分たちはどんなにあがこうとも、変わることはできないのではないか。迷える少年に、仲間たちが手を差し伸べる。

『機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ』特別編#3は、TVシリーズ第11話「ヒューマン・デブリ」から第13話「葬送」までの「ブルワーズ編」をまとめたエピソード。

 表向きは木星圏の巨大企業体、裏では巨大なギャング組織であるテイワズの傘下に入ったオルガ・イツカと三日月・オーガスたち鉄華団は、火星の独立運動を指揮する少女クーデリア・藍那・バーンスタインを連れて地球へ向かう。そこに、宇宙海賊のブルワーズから襲撃を受ける。ブルワーズが送り込んできたモビルスーツ部隊の中には、鉄華団のメンバーである昭弘・アルトランドと生き別れになった弟、昌弘・アルトランドがいた。オルガたちは昌弘を取り戻すために戦うことを決意する――。

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「ヒューマン・デブリが楽しくていいわけがねえ、だからバチが当たったんだ」。昭弘は言う。

「ヒューマン・デブリ」は、本作の前半に頻出する造語だ。

「デブリ」とは、フランス語の「debris」のこと。破片や瓦礫のことを意味している。F1レースなどでサーキット場に飛び散ったタイヤかすのことを呼ぶのに使ったり、宇宙空間に浮遊している放棄された人工衛星などの破片を呼ぶときに使ったりする。本作では、この「デブリ」に「ヒューマン=人間」という言葉を結びつけて、「ゴミくずのような値段で売り買いされる子どもたち」を表現する言葉として使われている。本作の主人公の三日月もオルガも、「ヒューマン・デブリ」のひとかけら。本作は、不当に扱われていた少年たちが、自らの意思をもって動き出し、自分たちの居場所を見つける物語となっているのだ。

 こういった「少年たちの戦い」は、「ガンダム」シリーズの共通のテーマのひとつとなっている。『機動戦士ガンダム』は、15歳の少年アムロ・レイが主人公。『機動戦士Zガンダム』の主人公は、連邦軍の軍閥・ティターンズに怒りをぶつける17歳のカミーユ・ビダン。『機動戦士ガンダムZZ』では盗みのために戦艦に乗り込み、成り行きで戦いに巻き込まれていく14歳のジュドー・アーシタが主人公だった。戦う理由はそれぞれだが、いずれも思春期の少年たちが、大人たちの仕掛けた戦争の中で現実と向き合い、悩みつつも戦い続けていく。

 本作では、その「少年たちの戦い」というテーマをより深く描くべく「ヒューマン・デブリ」と呼ばれる少年たちを描いた。火星に進出し、宇宙戦争を経験した人類は、少年少女たちを道具のように無慈悲に扱う。彼ら彼女らは「ヒューマン・デブリ」や「宇宙ネズミ」などと呼ばれ、人としての最低限の権利すら認められず、危険の真っただ中に送り込まれる。宇宙空間は、人類の進出を拒む過酷な世界で、未開拓の惑星は人々の生存を否定する荒れ地に包まれている。そういった命のやり取りをする戦場で、本作に登場する少年少女たちは酷使され、使い捨てられているのだ。

 持たざる者が、持つ者に消費される社会。それはフィクションである本作の世界だけではなく、現実においても、同じような側面がある。それが『ガンダム』シリーズでたびたびモチーフとされてきた、「子ども兵士」の問題だ。

 一度、子ども兵士になってしまうと、その状況から抜け出すことは難しい。彼らは適切な教育を得ることができず、芽生えた反抗心も力によってねじ伏せられてしまう。大人たちは子ども兵士たちを洗脳し、ときに体罰を与え、ときに見せしめを突き付けて、自分たちの都合のよいように操ってしまうのだという。

「ヒューマン・デブリ」だったオルガや三日月たちは、ガンダムと呼ばれる力を手にして、クーデリアという未来を抱く少女と出会ったことで、その状況から抜け出した。「ヒューマン・デブリ」「宇宙ネズミ」から、ひとりの人間へ――力と未来を手にした少年たちは歩き始めたのだ。

『鉄血のオルフェンズ』が持つ、ヘヴィでドライでシリアスな手触り。あるいは、独特な重さと湿り気。1979年に放送された『機動戦士ガンダム』が、ベトナム戦争(1975年に終結)の空気をまとっているとするならば、『鉄血のオルフェンズ』には現代の戦争の空気が宿っている。たとえば、アフリカの紛争問題や南米のストリートチルドレンの問題。一例をあげるならば、ブラジルのストリートチルドレン(モレーキ)の抗争を現地のスラムの人々に演技指導をして撮影した映画『シティ・オブ・ゴッド』(フェルナンド・メイレレス監督)は、本作と近い印象を観る者に与える作品と言えるかもしれない。

 ただし、本作は社会問題、国際問題を糾弾する作品ではなく、あくまでエンタテインメント作品である。現在の社会の要素を取り入れることで、物語やキャラクターに実存感や親近感を与えようとしたのだろう。現実と比較して目くじらを立てるのは野暮であろうし、筋違いだろう。一方で、『鉄血のオルフェンズ』のように踏み込んだ表現をするフィクションを手がかりにすることで、現実世界をもう一度見直すことができるというのも、エンタテインメントの価値のひとつと言えはしないだろうか。

 鉄華団の少年少女たちは、自らの足で歩み始めた。その足が向かう先は地球だ。

文=志田英邦

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