アンドロイドの「僕」は、とある国の施設に保護され、所有者「Mr.ナルセ」との日々を手紙に書くことに…【島本理生 私だけの所有者】/はじめての①

文芸・カルチャー

公開日:2022/10/13

三通目の手紙

 おはようございます。

 一晩中の嵐がおさまって、波はまだ高いけれど、青空は澄み渡っています。

 今朝届いた手紙をさっそく読みました。

 手紙の中で先生は僕に、気の毒ではないにせよMr.ナルセとの生活は幸福なものとは言えなかったのではないか、と質問していましたね。それはたしかに少し難しい問題です。

 アンドロイドにとっての幸福とは、所有者の意に沿い、その願いを叶えることです。Mr.ナルセとの生活の大半は緊張感に満ちていて、僕はいつも至らなさに打ちひしがれていました。だから幸福だったとは、たしかに言えないかもしれないです。

 ただ、幸福ではないから不幸だとも言えないのではないでしょうか?

 Mr.ナルセは仕事の能力こそ高かったものの(それはけっして依頼が途切れることのない彼の多忙さから伝わってきました)それ以外はすべてにおいて不器用な所有者でした。

 彼は僕に対して、知ることはよけいな感情を負うことだ、と諭す一方で「おまえはなにも知らない」という言葉も頻繁に口にしました。

 だから僕はこの二つの言葉の矛盾にしばしば悩まされたものです。彼がなにを望んでいるのかを理解して実行することが、僕にとっては唯一の存在意義であるはずなのに、肝心の所有者自身がそれを具体的には教えてくれなかったのです。

 それでも僕は彼の言うことを少しでも理解しようと努めました。それには人間の子供のように本を読んで学ぶのがいいのではないか、と考えました。

 とはいえアンドロイドはインターネットへの一切のアクセスを禁じられていて、接続しようとすると自動停止してしまうので、Mr.ナルセのIDを使って図書館の本を取り寄せてもらうことを思いつきました。

 Mr.ナルセにこわごわそのことを伝えると、彼は思いのほかすんなりと、分かった、勉学はいいことだ、と許可してくれました。

 そして僕は歴史や民族について書かれた本をたくさん読みました。人間との違いを知るために動物学や生物学も勉強しました。

 彼が僕の読書に干渉することはありませんでしたが、一度だけ彼が食事している間に、僕が食卓の隅で人間の男女の生殖に関する本を開いたときには、突然、機嫌が悪くなって癇癪持ちの子供みたいに声を張り上げました。そんなものはおまえには必要ないんだから読むな! と。

 僕は慌てて本を閉じました。けれど彼の怒りは収まらず、おまえは人間のことだけじゃなく自分のことも理解していない。俺はおまえのせいでひどく腹を立てている、と続けざまに怒鳴りました。僕は謝罪を口にしましたが許してもらえず、そのときばかりは彼は一時間も僕を𠮟り続けました。僕はどうしていいか分からず謝罪を繰り返しました。ごめんなさい。ごめんなさい。あなたの気持ちが分からずにごめんなさい。僕には分からないのです。なぜなら僕はしょせん機械だから、と。

 夜中に一人でガーデンハウスで休むときには、胸の上に手を当てて、人間の祈りを真似してみました。明日にはもう少しMr.ナルセの心が分かりますように。そう願うと、虚しさとも呼ぶべき感情が回路をゆっくりと流れ始めて、僕は機械であることの無力感と、より所有者に尽くさなくてはという使命感に包まれながら停止するのでした。

 長くなってしまったので、そろそろ書くのをやめますね。

 おやすみなさい。

 

<次回は、辻村深月著「ユーレイ」をお届けします。>

<第2回に続く>

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