“非効率”は悪いことばかりではない。とりとめのない会話を通して人生を味わえることもある/今日も、私は生きている。⑤

文芸・カルチャー

公開日:2023/9/30

今日も、私は生きている。 世界を巡って気づいた生きること、死ぬことの意味』(曽野綾子/ポプラ社)第5回【全6回】

修道院付属の学校に通いキリスト教の道に進みながら、数多くの国や地域を巡ったベストセラー作家・曽根綾子さん。『今日も、私は生きている。 世界を巡って気づいた生きること、死ぬことの意味』では92歳になる著者が、富める人、貧しい人、キリスト教徒、イスラム教徒など様々な人と出会い感じたことをもとに「勝ち負けのない人生」を説いています。丁寧に綴られた言葉に思わず背筋が伸びるような気持ちになる、珠玉のエッセイ集をお楽しみください。

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今日も、私は生きている。
『今日も、私は生きている。』
(曽野綾子/ポプラ社)

ふくよかさが育つ土壌

 夏の初めの日曜日の午後はやばやと、三浦半島にあるウィーク・エンド・ハウスから東京へ戻ろうとすると、「街道」にはびっちりと車の姿が並んでいる。

 小さな三浦半島全体が、車で溢れていて、右廻りをしても、左廻りをしても、とにかく車が輪になって連なっているから、全く動きがとれないのである。私のようなヒマ人は、日曜・祭日・連休などは人の邪魔になるから、できるだけ家にひきこもっているようにしてはいるのだが、たまに休日にかかると、このありさまである。

 まだ日本に自家用車などというものが珍しかった頃、アメリカは既に車で溢れていて、「フリーウエイ」と呼ばれるハイウエイは車がのろのろしか動かない。だからあれは「フリー・パーキング・ウエイ」つまり、無料の駐車場なのだ、と言った人がいたが、日本もまさにそういう時代になっている。

 そういう時、しかし一掬の清水のような存在がある。それは、有料道路の料金所でお金を受け取る人たちの真摯な態度である。

 横浜横須賀道路の出口では、体全体に弾みをつけてお金を受け取っている男の人がいた。もう若いとは言えない、二度目の勤めという感じの人である。しかしこういう反射神経の律儀な使い方を惜しんでいない人なら、若い人よりはるかにましであろう、と思わせる身のこなしである。

 もう一人は第三京浜国道の出口にいた中年の婦人だった。私が一台手前から、五百円玉を見えるようにして指先で摘んで見せていたせいもあって、私の番になった時には既に受取とお釣りを一緒に用意してあった。わずか四、五秒の間にである。

 こういうきびきびした働き方を見ていると、私はつくづく日本に住むことが嬉しくなる。私は功利的な人間なので、自分が住む場所としての日本が、さまざまな面で整備された状態にないと困るのである。だからこういう性能のいい人を見ると、日本の未来も、まだしばらくは大丈夫に違いない、と安堵する。

 外国のどこと比べるのだ、と言われると困るのだが、日本以外の国で、道が混んでいる日には、できるだけ効率よく車を通そうとして、弾みをつけ、次の車、さらにその先の車、と眼を走らせて、一秒でも早く処理しようなどという人にお目にかかれるのは、ごく少数の国のような気がする。

 そういう部署で働く人たちから見ると、別に頑張ったところで報酬がよくなるわけでもない。時間の単位当たりの賃金はどこでも決まっている。だから、さぼっていると言われない程度に、のんびりと無理なく、やればいい、と思うのだろう。

 一九八七年、サンフランシスコの金門橋の向こう側に住む友人の車で、サンフランシスコ市内へ入ったことがある。

 金門橋の料金所まで来ると、友人は開けられた車の窓ごしに、料金係のおじさんと親しげに話を始めた。友人はもう若くはないがなかなかの美人だから、同じように若くはない料金所のおじさんも、何となく悪くない気分でいつからともなく彼女の車をマークするようになったのだろう。

 二人が冗談のように言い合っていたのは、何のことはない、車のマスコットには何の動物がいいか、ということなのである。二人はそのことでもう長いこと論争を続けているらしい。

「アザラシはかわいいのよ」

 と友人は言う。彼女の車のハンドルの前には、本物のアザラシの毛皮で作ったアザラシのマスコットが置いてある。

「いや、サメがいいよ」

 料金所のおじさんは言う。

「サメは姿がいい。きりっとして勇敢だ」

「でも残酷だわ。アザラシはとても平和よ」

「いや、サメだね。そのうちあんたにも、きっとサメのすばらしさがわかるよ」

「そのうちにね」

 後ろの自動車がぶうぶうホーンを鳴らすということもない。これだけの会話が海風と微笑の中でのんびりと続けられている。この友人は「金門橋っていつも混んでいて困るの」などと言っているのだが、だからと言ってそこへ来るといらいらするわけでもない。日本人の効率性が、今日の経済大国日本を作ったのは間違いないことなのだが、一方で能率的な人間関係からは、人生を味わうチャンスがなくなる、というのもほんとうなのである。

 サメがいいか、アザラシがいいか、はくだらないことなのだが、そういうとりとめない会話が、人間の心を複雑に温かくする、と考えると、非能率と片づけたいような行為にこそ、ふくよかさが育つ要素があることに気づかざるをえない。

<第6回に続く>

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